わたしは覚束無い足取りで教会の地下を後にした。
息も荒い。わたしは、服の乱れを正しながら火照った身体を夜風で冷やす。祖父への繋ぎを抑えたまま蟲を使う。覚悟はしていたがやはり並大抵のことではなかった。

「こんなところに居やがったのか!」

よろめく身体を支えようと、柱に手をついたところでいきなり胸倉を掴まれた。
絡みついてきた右腕が、まるで間桐の蟲のようにじくじくと膿を滲ませ、わたしの服を濡らし、肌に染み込んでいく。

「兄さん……」

「畜生……どいつもこいつも馬鹿にしやがって、僕だけが本当のマキリを知っているんだぞ!」

狂ったような目を血走らせ、兄は歯を食いしばって呪詛のように呻く。
多分、祖父に会って来たのだろう。祖父がその姿を取り戻してから、兄は益々狂気の度合いを増していった。魔術師になったのに、祖父は一向に兄を認めようとしない。いや、あの祖父の事だ、認めぬことで楽しんでいるのかもしれない。

だが、それだけではない。マキリの真実を掴んでから、兄は心底あの祖父を憎み蔑んでいる。そんな相手に諾々と従い、恐れ敬い、虚仮にされる。己の誇りのみを糧とする兄にとって耐え難いことなのだろう。

「今、爺は糞壷に掛かりきりだ。やるぞ、桜」

狂気の光を目に湛えたまま、兄はわたしの手を引く。場所は分かる、神父様の私室。一年前、神父様が神の御前で二十一度行った施術。その仕上げを、最後の一回を行おうというのだ。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ躊躇した。だが、

もう歩みを止めることは出来ない。わたしはもう、踏み出してしまったのだから。





くろいまゆ
「妖術師の裔」  −MAKIRI− 第四話 前編
Beelzebul





「――――Anfangセット)――」

わたしは細い鎖の先に意識を集中する。小さな水晶、其処に刻まれた術式に、さっき打ち込んだ楔の形を合すのだ。“似た物は引き合う”類感魔法の基礎、それを利用した探索術式ダウジング
ふっと鎖に手応えが生まれる。微かに、ほんの微かに引っ張られる感触。よし効いた。後はこれに従って辿るだけ。

「出来たんだな?」

ほっとしたわたしの手から、士郎がするりと鎖を抜き取った。そのまま感触を確かめるように瞑目する。

「これを辿っていけば、ルヴィアさんの所に行きつけるってわけか」

「ちょっと……」

術式は水晶に固着されている。普通の人なら別だが、士郎はこれでも魔術師。わたし同様に辿ることは出来る。でも、いきなり取ること無いじゃない。このところ、士郎はちょっと強引だ。

「俺が行って来る」

だから、文句をつけようとしたら。いきなり真っ直ぐ顔を覗き込んできた。しかも自分が行く? あんたまさか……

「遠坂は、セイバーの事を頼む。魔力を抑えなきゃいけないんだろ?」

こいつ……思ったとおりだ。

「なによ、まさか一人で行くって言うんじゃないでしょうね?」

「ああ、一人で行く」

さらっと言いやがった。あんまり平然と言うもんだから、一瞬返す言葉を見つけられなかった。

「な、なに言ってんのよ! 士郎一人で……」

我に返って言葉を捜し、ここまで口にしたところで気が付いた。
今の士郎なら、一人でもやってのけられる。魔術師としては、いまだ半人前なので忘れがちだが、“魔術使い”としてなら士郎は既に一人前だ。いや、士郎のとっさの判断力、切り札の多さ、更に“奥の手”の存在を考えれば、悔しいが単独という状況ではわたしなんかよりずっと上手く動けるだろう。……ああ、なんか本当に凄く悔しくなってきた。

「月もある、ランスももう飛べる。無理はしない、場所を探り出して戻ってくるから、遠坂には準備を整えて待っていて欲しいんだ」

しかも弁まで立ちやがる。刺そうとした釘を先に打たれたんじゃ。わたしが言うことがないじゃないの。でも……一瞬さっきのルヴィアが脳裏に浮かぶ。心の贅肉だと分かっていても、あんなルヴィアを士郎に見せたくは無い。

「……見つけるだけよ。先に飛び込んじゃ駄目なんだから」

だからだろう、まるで拗ねたような声音で言ってしまった。自分で聞いても声が上ずっているのが分かる。やだな、これじゃただの女じゃないの。

「無理はしない」

そんなわたしの目を、しっかりと見て応えてくれる士郎。でもずるい、無茶はしないとは言ってくれない。わたしは無茶もして欲しくない。……でも、これだって心の贅肉だ。わたしの判断は士郎に行かせるのがベストだと言っている。

「分かった、任せるわ」

士郎はきっと無茶をする。無理はしなくとも絶対無茶をやってしまう。それが分かっていても、わたしは士郎を送り出すしかない。この判断は正しい。間違っているかもしれないけど正しい。わたしはここで士郎を信じなきゃいけない。

「ああ、すぐ帰ってくる。遠坂、セイバーを頼むぞ」

士郎は一つ頷くと、立ち上ってゆっくりと部屋を出る。いつの間にか大きくなった背中。ちっとも気づかなかったのに、何処か見覚えのある背中。
そんな背中に向けて。わたしは言葉にせず心で祈った。信じるから、絶対、信じるから。帰って来てね、士郎。




「新都だな」

家の前から連なるなだらかな坂を下り、俺は深山中央の交差点に立ち瞑目した。
遠坂から受け取った探査水晶。微かに引っ張られる感触は、残念ながら道沿いではない。あくまで直線。俺はその直線をランスの目を借りて上空から探り、辿りつくべき目的地に当たりを付ける。
今、水晶が指し示すのは新都の方向、後は辻々で方向を修正しながら進んでいけば良い。

「行くぞ」

俺はそのまま裏道から海浜公園に向け、大橋に向かう。
ここまで来ると、水晶の指し示す方向にも見当が付いてくる。新都の南西、山側の方向。

「……教会か」

更にランスの視界を借りて、進行方向を確認する。そちらの方向に別の建物が無いわけじゃないが、ルヴィア嬢を監禁するとすれば、多分あの埋められた地下室だろう。

――主よ如何する。

橋を渡る俺に、ランスの思考が飛んできた。
遠坂との約束は場所を探り出すこと、今の段階で目星はつけたのだから、ここまででも一応の目的は果せたろうと言っているのだ。
遠坂には無理はしないと言った。見つけたらすぐ帰ると約束した。

「はっきりさせたい。もうこれ以上、後手回るのは沢山だ」

だが、例え救い出せなくとも、この目で無事を確認したい。遠坂の態度からすると、かなり酷い目にあっているのだろう。
だとすれば、これ以上見当違いで時間を無駄には出来ない。それに、もしかするとこのまま救い出せる可能性が無いとも限らない。
俺はランスを上空に貼り付けたまま、大橋を渡り新都へ向かう。中心部を避け、セントラルパークホテルの脇を通り郊外へ。水晶の指し示す先はやはり坂の上にある教会だ。

――主よ……

教会まで、後は坂を上がるだけとなったところで、上空のランスから声が掛かる。指し示す方向には教会から下る坂の中ほど、人影?

「やあ、衛宮じゃないか」

月明かりを浴び、待っていたかのように坂を下ってくる人影。

「……慎二」

それは幽鬼のように痩せ細った、間桐慎二の姿だった。




遠坂邸うちから持ち出した宝石や魔具を整えなおし、わたしはじっと士郎を待つ。
我ながら、とことん待つのは性に合わない。苛々してちっとも整理の手が進まない。
考えてみれば、今回の件はずっと主導権を奪われっぱなしだった。
後手を掴まされ、何とか挽回しようとして打った手は見事に空振りばかり、気が付くといつの間にやらここまで追い詰められていた。
だから、そいつがやってきた時は却ってほっとした。今度も後手かもしれないが、今度こそとっ捕まえてやる。

「凛……」

魔力を抑えるため、ずっと眠っていたセイバーが、厳しい表情で目を開ける。
わたしも気がついた。気配は殺せるだろうが、こいつだけは匂いで分かる。わたしはそっと立ち上がり、襖を開けた。

縁側を挟んでその先は衛宮邸の庭。かなり広い、ちょっとした日本庭園といっても良いほどの庭だ。そこに月光を浴び、黒々とした影が蠢いている。
いや、違う。
影じゃない虫だ。百足が蜘蛛が蠍が、小さな黒い虫がまるで影のように塊り蠢いている。そしてその中央。まるで蟻塚のような立像。醜い老人の形をした蟲塊。

「間桐……臓硯……」

初めて、初めて会った古き盟友、そして敵の首魁。思ったより小さく、思ったより醜く、思ったよりもずっとおぞましかった。

「カカ、お初にお目にかかることになるかな? 遠坂の娘よ」

蟲が口を開いた。間桐の地下が脳裏に浮かぶ、腐臭がここまで匂って来そうだ。

「何の用?」

「ふむ、古き盟友に対して随分な言葉ではないかな? 些か行き違いがあるようだが、聖杯戦争でもなし。我らが争う理由は無かろう?」

「――なっ!」

一瞬言葉を失った。この化物は今までの事をただの行き違いで済ますつもりなのか?

「証拠にほれ、害意はない。遠坂の当代はそれも分からぬというのかな?」

「くっ……」

腹が立つ、こいつはわたしを嘲っている。確かに直接の害意はない。さもなくば、結界を破らずに、ここまで気づかれずに入って来れようはずも無い。少なくとも、ここに入って来た意図は戦う為じゃない。

「はん、そのわりに人の庭先におかしなもの引き連れて来てるじゃない?」

となれば、こいつの目的は交渉。勿論、受けるつもりは無いが、それでも可能な限り情報が欲しい。こいつの目的は? こいつは何時、何処で何をやっている? 実際わたし達は何も知らない。

「ん? おお、これか。いやいや、これはワシの蟲ではない。孫がわざわざワシの為に用意してくれたもの、爺としては可愛い孫の好意を無下には出来んでな。それにほれ、使い魔は御互い様ではないかな?」

臓硯は自分の周囲を始めて気づいたように見渡すと、白濁した瞳でさも可笑しげに笑いながら部屋の中を伺ってくる。
とっさにわたしは、一歩前に出ようとするセイバーを後ろ手で部屋の中に押し止めた。歯噛みして悔しがっているが、ここは我慢させなければならない。こいつがセイバーから力を奪っていることは分かっているが、だからって現状のセイバーを見せて確認させる謂れは無い。

「まあ、良いわ。それじゃあ話が終わるまでは生かしておいてあげる。もっとも、今のあんたを殺して意味があるかは知らないけど」

慎二の言葉である以上真偽はわからない。だが、本当であった場合のリスクが大きい。こっちは一度死ねば終わりだが、こいつは命のスペアがあるようなものなのだ。

「ふむ、其処まで言うたか、愚かな孫よ……まあ良い」

が、わたしの言葉に僅かだが臓硯の表情が曇った。少なくとも慎二の言葉には真実の幾許かはあったと言うことだろう。まずは一点先取、これだけでも収穫だ。

「さて、本題よ。この辺りで手打ちにせんか? 元々遠坂と間桐は相互不可侵、それに戻るが常道であろう。これ以上この街で騒動を起こすのは余り感心できることではないでな」

一瞬、言葉が意味を成さなかった。このばけものはなにをいっているのだ?

「なに、遠坂に何をしたという覚えはない。街での事も表立っては居らんし、これ以上何を起こすつもりも無い。ここで引けばお互い怪我もなし。悪い取引ではなかろう」

ギリッ

心ならずも奥歯を噛み締める音が響いてしまう。わたしは目の前で何事もなかったように話す臓硯を凝視した。この化物は……だが、わたしは激昂しそうになる気持ちを落ち着ける。ここは怒ったら負けだ。

「お話にならないわね。教会はどうするの? あんたが攫ったルヴィアだって協会の正会員。このままじゃどっちも黙ってないわ」

ここでわたしだけが手を打っても意味は無い。面子を潰された教会、正会員をこんな巫山戯た事で失った協会。どちらも今のまま黙って見過ごすわけが無い。下手をすると手打ちをしたわたしまでも粛清されてしまう。そういう意味でも臓硯の提案は取引にも何もなったもんじゃない。

「おお、そのことか」

だが、臓硯は動じない。何事か満足したように頷き、可笑しそうに話を続ける。

「では、それが解決すれば話に乗るというのだな?」

「どういうことよ……」

「教会には、そうよの、この爺のそっ首引き渡そうかのぉ」

自分を首をぽんと叩き、臓硯はそれでも笑い続ける。

「あの金髪の姫君だが……慎二の嫁になってもらおうか。なに、外見は今のまま、問題はなかろう」

呵々と笑う臓硯を前に、わたしは必死で表情を隠した。くそ、くそ、これで分かった。こいつがなんでルヴィアを狙ったか。そうか、やっぱりルヴィアの奴……
つまりこの化物はルヴィアを乗っ取るつもりなのだ。この老人の身体を差し出し、代わりにルヴィアの身体を手に入れる。どうやってかまでは分からないが、ルヴィアがもしわたしの考えている通りなら、胎から乗っ取ることは不可能じゃない。“慎二の嫁”は建前、中身はこの化物の寄り代というわけだ。

「ふむ、おぬしの使い魔が心配かな? 安心してもらいたい、手打ちとなればおぬしの使い魔には手を出さん」

わたしの沈黙をどうとったか、臓硯は尚も言葉を続ける。だが、もうそんな事を聞いちゃ居なかった。そんな言葉を信用なんか出来ない。それに……誰が、誰がルヴィアをこんな化物にやるもんですか。

「ルヴィアを返しなさい」

「ふむ?」

ああ、自分でも馬鹿をやっていることは分かる。ここはもっと時間を稼ぐべきだ。感情的にならず、じっくりとこの化物から情報を引き出しつつ逆転の手を練る。場合によってはルヴィアを見捨ててでもそうするべきだ。そんな事は分かってる。それが正しい選択だ。
だが、

「あんたなんか要らない。ルヴィアを返しなさい」

誰がルヴィアを見捨てるもんか。例え言葉だけでも、誰がこいつにルヴィアをやるもんか。
ルヴィアは……ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトあいつ遠坂凛わたしともなんだ!

「やれやれ……」

―― 臓々 ――

歯を食い縛るように搾り出したわたしの応えに、臓硯の呆れたような声で呟く。と同時に影に潜む蟲達がざわめき始めた。

「古き盟友と思いわざわざ来て見たが。遠坂の当代は随分と不出来と見える。どうしてもと言うのなら止むを得んわ、愛い孫の為よ、この爺が些か苦労してやるか」

「どういう意味よ……」

交渉は決裂。わたしは半歩下がりながらセイバーに指示を送る。手間暇はかけていられない、隙を伺い素早くセイバーと入れ替わり、可能ならば一撃で事を決めねばならない。

「なに、刺し違えてやろうかと言うのよ。古き盟友の絶えるのを、この目で見るのは不憫でな」

刹那、黒い壁が庭から舞い上がった。




「……慎二」

「何だよ、衛宮。怖い顔をして、僕は喧嘩をするつもりは無いぞ。そういうこと嫌いだって知ってるだろ?」

坂の下、睨みつけながら身構えた俺に、慎二はいつもと変わらぬ態度で近づいてくる。だが、俺は警戒を解かない。帰ってきてからの慎二は何処かおかしかった。今もそうだ、ルヴィア嬢や桜と共に消えうせた慎二。ルヴィア嬢が間桐に攫われた事が確定している以上、自分が裏切ったと思われて当然。こんな風にのこのこと俺の前に出てこれる立場じゃないはずだ。

「……どう言うつもりだ」

「ああ、衛宮に助けて欲しいのさ」

だが、俺の冷たい声にも慎二の態度は変わらない、肩をすくめて俺に皮肉な笑みを向ける。

「助けて……どう言う意味だ。ルヴィアさんは? 桜はどうした? 一緒に居たんだろ!」

「桜は無事さ、もうこの時間だ寝てるんじゃないかな?」

まるで、部活か何かから帰ってきた事でも報告するような気楽さで慎二は応える。

「それと、あの女か……仕方ないだろ。お爺さまの命令には逆らえない。僕だって命が惜しいからね」

驚いたことに、慎二はあっさりとルヴィア嬢を攫った事を認めた。それもさも当然と。こいつは……

「だからってルヴィアさんを攫って良いことにはならない」

微かに表情を歪めた慎二に俺は一歩詰め寄った。哀しかった、慎二はまたあの聖杯戦争の時の慎二に戻ってしまった。人を見下し傷つける事を何とも思わない、自分の為なら平気で他人を犠牲にするあの慎二に。

「ああ? 仕方なかったって言ってるだろ? それとも衛宮は桜を見捨てろって言うのか?」

「――なっ!」

が、慎二は顔を歪め俺に挑みかかるように言い返してきた。桜を捨ててずっと外国に行っていたお前に何を言う資格がある、とあからさまな憎悪さえ込めた瞳で睨みつけてきた。

「あの女を手に入れなきゃ、桜が爺の犠牲になるんだぞ? 見知らぬ他人より可愛い妹を助けたいってのが人情じゃないのか?」

慎二は衛宮邸おれのいえで話したことは嘘じゃないと言う。結局、臓硯に捕まり桜の繋がりを取り戻された、ルヴィア嬢を攫う手助けをしなければ、桜を犠牲にすると言われたと言う。

「……それじゃあ桜は臓硯の仲間ってわけじゃないんだな?」

もしそうなら、これだけは朗報かもしれない。

「言ったろ? 桜は道具だって。あいつは間桐の聖杯だからな」

ちょっと待て? 聖杯? 何でそんな言葉がここで出てくるんだよ!

「どう言う事だ! 桜が聖杯!?」

「何だ、知らなかったのか? 桜に埋め込まれた蟲は聖杯の欠片を蟲に変えた奴なんだぜ。可哀相だろ? あの金髪を犠牲にしても助けようって兄の気持ちを分かって欲しいもんだね」

「くっ……」

答えに窮した。あの間桐の蟲蔵が目に浮かぶ、桜はあそこで……
何も言えなかった。何も知らず倫敦へ言ってしまった俺に、言える言葉は何も無かった。

「だから衛宮に助けを求めに来たのさ」

俺の無言を了承と見定めたのか、慎二はさも嬉しそうな表情になって俺に近づいてきた。俺も構えは解く、警戒は緩めはしないが、ここで慎二をどうこうしても何もならない。

「……どう言う事だ」

「やっぱり衛宮は良い奴だな。話しを聞いてくれるんだね?」

「……」

頷くしかなかった。慎二は自分がルヴィアさんを攫ったと明言したが、桜の為といわれては強くは出れない。
俺にはどちらかしか助けられないからって、片方を見捨てるなんて出来ないが、他人にそれを求めることが無理であることも承知している。悔しくて奥歯を噛み砕きかねない気持ちだ。納得なんか到底出来ない、だが承知はしている。

「爺の中身は蟲だ。蟲さえ居れば人を食っていくらでも身体を作り直せる」

「その話は聞いた」

「なあ、衛宮。人の話は最後まで聞かないと損をするって言わなかったっけ?」

皮肉な笑みを浮かべ、慎二が茶々を入れる。だが、俺がびくとも反応しないのを見ると、つまらなさそうに話を続けた。

「その蟲蔵の場所を衛宮に教えようって言うんだ。勿論、衛宮はそんな場所根絶やしにしてくれるよな?」

「当然だ」

間桐の蟲蔵、蜘蛛の玄室、あの暗く腐った闇。あんなもの有ってはいけない。

「ああ、良かった。そこにあの女もいるはずだから、助けたいって言うんなら助ければいいさ」

「ちょっと待て、そんな所でルヴィアさんに何をしてるんだ!」

聞かずもがなな事だったかもしれない。だが、それでも俺は叫んでしまった。

「言っただろ? 桜の代わりの爺の餌だって。いっぺん蟲で弄らなきゃ流石の爺も直接獲物には出来ないさ」

「なんだよ、蟲で弄るってのは。第一ルヴィアさんは魔術師だぞ、そう簡単に……」

十全たる魔術師はそう簡単には支配出来はしないはず。だが、引っかかるものはあった。さっきの遠坂の施術、あの時遠坂がなにを見たのか……

「あれ? 衛宮は知らなかったんだ。あの女、処女だったんだぜ?」

「それがなんの……」
「例え魔女でも処女の胎は無垢。衛宮は魔術師なのにそんなことも知らないのかい?」

一瞬、視界が真っ黒に閉ざされた。なんだって、じゃあ、今ルヴィアさんは……
蜘蛛の玄室の光景が脳裏によぎった。憑かれたように恍惚な表情を浮かべ、嬌声のような呻き声を止めどなく漏らすその姿……

「何処だ!?」

もう我慢できない、俺は我を忘れて慎二の胸倉を掴み上げていた。

「何だよ、衛宮。苦しいじゃないか。あの爺に攫われたんだぞ? それくらい想像できるだろ?」

苦しげに顔を歪めながらも、妙に見下すような慎二の表情。だが、今はそんな事を気にしている暇はない。俺は更に慎二を締め上げた。

「そんな事を聞いているんじゃない! 何処なんだ!」

「きょ、教会だよ。教会の地下室さ、知っているだろ?」

くそ、やっぱり教会か。俺は慎二から手を放すと、脇目も振らず教会に向かって駆け出した。待っててくれ、無事で居てくれルヴィアさん!

「頑張ってくれよ、衛宮。僕たちの為にね……」

だから、慎二の捨て台詞は聞いていなかった。その顔に浮かぶ、空々しくも暗い喜びに燃える笑みも見てなんかいなかった。




―― 閃!――

目の前に立ち上がった壁は一瞬で切り裂かれた。ばらばらと死んだ虫が縁側に撒き散らされる。

「凛、下がって」

月光を浴び、金糸が鈴を転がすような声でわたしの前に立つ。セイバーだ。
魔力を節約する為だろう鎧もつけず、剣も宝具ではない。士郎とミーナが鍛えた新鍛の剣だ。
だが、その姿は紛れも無く英霊。例えパジャマ姿でも、その鋭い視線と圧倒的な威圧感は、紛れも無く剣の王そのものだった。

「……ほう」

流石の臓硯も感嘆の声を上げた。白濁した目を見開き、感心したように首を振る。

「いや、あれだけ力を抑えられて、尚もこれまでとは……さぞや名のある英霊と御見受けする。聖杯戦争を幾度と見てきたが、これほどのサーヴァント一人現れたかどうか」

が、それでも臓硯は軽口をやめない。やれやれ仕挫ったかなどと呟きながらも、自分の周りで蠢く虫達を前に出し、セイバーの初撃に打ち砕かれた黒い壁を再構築する。

「無駄口はそれだけですか。そのような壁、何の役にも立たないと知りなさい」

セイバーが珍しく低い声で臓硯に向かう。ああ、そうかセイバーも怒っているのか。危惧を覚えると共に嬉しくも思う。セイバーもルヴィアが好きなのね。

「カカ、確かにまともに向かえば寸刻みに潰されるであろうな。だが、」

―― 臓々 ――

臓硯の言葉に応じるように、別の何かが壁を伝いだした。影から立ち上がり、まるで滝かなにかを逆しまに流したように蟲の壁を這う。
更に影に包まれる度に響く、何かを擦り合わせるような虫の悲鳴。背筋に悪寒が走る。喰っている。何かが虫達を飲み込み、変容させ、消化している。

「――ちっ!」
「――なっ!」

いきなりセイバーがわたしを抱え一歩跳び退る。何事かと見ると、黒い影はさざなみとなって先ほど縁側に降り注いだ蟲の残骸を攫い引いていく。ちょっと待って、この影、この黒い泥のようなもの……見覚えがある。

「臓硯! あんた!」

「ほほう、流石は遠坂の当代。気づいたか」

く く くと喉の奥でいやらしい声を立て、臓硯が笑った。
これは泥だ。あの聖杯の中から溢れ出していた、あの蜘蛛の姿を歪めていた。あの泥だ。
記憶の底からあのおぞましい感触がよみがえり怖気を奮う。

「なに、密度も力も開いた時とは比べ物にならん。溜まりきらねばただの泥よ。こうして虫を食らわせて形を成すことくらいにしか使えぬ」

臓硯の言葉に合わせて、ごぼごぼと泥は形を成していく、ぶよぶよと歪んだ人ほどの蠍、錦蛇ほどの百足、歪んだ蜘蛛。

「虫を核として泥を以って成した木偶人形に過ぎぬ。土蜘蛛アラクネほどの核を使い、時をかけて変容させたならともかく。このような手品、視肉と同じ、明日になれば形を失い腐った泥に戻ってしまうわ」

「講釈は結構よ! どこでこんなもの……」

流石にこれは拙い。全力のセイバーなら多少のロスを覚悟すれば容易い相手だが、今のセイバーに魔力を失いながらの戦闘は酷だ。それに、セイバーと繋がっているルヴィアだって……

「何処とは? 成程、遠坂の先代め、子に全てを伝えずに逝ったか。相も変わらず不調法な家系よ」

が、わたしの呻きに臓硯は意外な反応をした。なんだそれは? 父さんがわたしに伝えなかった? 何のこと?

「まあ良い。さて英霊殿。先ほどの言葉どおり、貴女ならば一撃で片を付けれれよう。しかし、それは万全の時。見れば守りも手薄な様子。この泥を相手に手傷を負わずに何処までやれますかな?」

「黙れ」

臓硯の雑言にセイバーが飛んだ、一気に間合いを詰め、臓硯に打ちかかる。

―― 泥!――

「――くっ!」

が、一瞬早く百足が姿を解き、泥となって立ちふさがる。剣を地に付きたて瞬時にベクトルを変え、真横に身を飛ばすセイバー。そこに蠍が踊りかかる。

「―――― Der Gaysir gluht間歇炎!」
「――凛!」

ギリギリ間に合った。赤柱石レッドペリルを使いワンアクョンで間に火柱を立てる。わたしの魔術は精度が甘い。こういった小技は種が限られている。かといって、今のセイバーを一人で戦わすわけにはいかない。となればだ、

「セイバー、わたしに合わせなさい!」

「はい!」

討入りの為に用意した宝石に道具、使い潰す積もりで大盤振る舞い。それを縫ってセイバーに突っ込ます。魔術の援護にセイバーを使う。いつもとは逆では有るが、とにかく今は、ここを切り抜けることにはこれしかない。付いてきなさい、セイバー!


ついに其々の動きをはじめた間桐の一族。
後手後手にまわり、ついに士郎と凛の二人だけになってしまったBritain一行は、更に一人ずつに分けられてしまいました。
それでも今度は目の前に相手が居る。この状況をどう切り返すか。
それでは、後編をお楽しみください。


By dain

2004/9/22初稿
2005/11/14改稿


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