「これは?」

出発が決まった俺達が準備を整え、神殿の正面に集まってみると、そこにはソフトボールほどの大きさの黄金の卵の嵌ったラックを、えらく静々と掲げているアケメス師が、ミーナさんにシオンさん、それにナタティリを連れた補佐官の四人と共に待ち受けていた。

「先ほど話にあった、大規模破壊兵器です。お二人を救出した後、神殿の最深部にこれを設置してください」

俺の疑問にシオンさんは、その中の一つを手に取りながら応えてくれた。そう言われてみると、何かえらく禍々しく見える……

「五大元素融合核撃呪弾って奴ですね。増援を入れてくれるなら、こんなもの使う必要ないんですけど」

続いてミーナさんが、さも嫌そうに顔をしかめながら、また一つ卵を手に取った。

「ええと、それって……」

とはいえ、そんな名前を告げられても俺にはさっぱり意味が取れない。
そんなわけで更に重ねて尋ねると、最後に補佐官がラックから卵を一つ掴み取りながら、ごくごくさり気無い口調で応えてくれた。

「つまり水爆です」

「へぇ、こんな小さいのに水爆……ってちょっと待ってくれ!」

余りのさり気無さに危うく流してしまうところだった。水爆? 核兵器? 一体なんてものを……

「安心してください。あくまでも理論的には水爆と同じだというだけです。それにこれは特に戦術用に調整されていますから、一点の威力はともかく、魔術的に爆発範囲も限られていますし放射性汚染も起こり得ません」

爆発と同時に殻の部分が封鎖結界を発動し、瞬間的にその中だけに一種の擬似太陽を形成するのだという。

「吾らヌビアが用意した品だ。爆砕半径は約百メートル、余波は数キロといった所か。だが、使用するのは何処も人気のない砂漠の最深部、問題はあるまい」

これで安心したかな? と視線で尋ねてくるアケメス師。なんか却って安心できない説明だぞ。

「……そこまでやる必要があるのか?」

だがとんでもない代物だって事は間違いない。こんなもの使わないで済むなら、それに越した事は無い。

「アトラス院が二十四時間の猶予を与えてきた理由は、私達の手で四つの遺跡を完全破壊する事が条件でした」

限られた時間と人員でそれを行うには、これくらいの無茶をしなきゃなら無いという事らしい。
どの道、碌でもないことになるのなら、自分達の手で最小限の被害に抑える為の方策を採るしかない。シオンさんはそう言っているのだ。

「でも、砂漠の遺跡は良いとして、こっちにはダムだってある。その辺りは大丈夫なのか?」

「はい、岩山を覆う結界を最大限強化して余波を押さえ込みます。若干の物理的被害は出ますが決壊までには至りません。安全係数内に収まります」

「……わかった。シオンさんを信用しよう」

遠坂を助け出す。ただそれだけのはずなのに、何故かどんどん余分な重みが加わって行く。どんどん嫌な方向に向かっているように思える。
俺は歯噛みする思いで、禍々しいまでの魔力を放ち続ける神殿を睨みつけた。
だが、これは誰かがやらなければならないことなのだろう。さもなければ、この禍々しい古代エジプトの神秘ってやつか、この神秘を封じようとするアトラスか、どちらかの手で世界はとんでもないものになってしまう。
二十四時間。どうあってもそれまでに遠坂とルヴィアさんを救い出してみせる。俺はそう心に決めながら、最後の卵を手に取った。





Fate/In Egypt
く れ な い の さ ば く
「硝砂の魔術使い」 ――EMIYA―― 第二話 後編
Heroic Phantasm





空には金色の太陽が眩いくらいに輝いていた。
そして地上には、巨大なピラミッドを模したような白亜の神殿が、影さえも打ち消さんとするばかりに、太陽の光を照り返しながら聳え立っている。

「……」

その神殿の頂きに設えられた祭壇にただ一人、その煌きを一身に集めるかのように胸をそらし、眼下の砂漠を睥睨してい人影があった。
見下ろす視線の先には、その姿を一目崇めんと熱砂にひれ伏す臣民と、それを導く神官の群。
それは地上に描かれた生きた魔法陣。この神殿、神官たち、そして群衆と、三つの同心円は着々と形を整えられ、脈打ちつつ一つの形に組み直されていく。
その完成を見定め。人影は満足げに頷き太陽に向かって挑むように口を開いた

「時は満ちた」

思いのほか高く澄んだ声に合わせ、人影は祭壇に踏み出し、地にひれ伏す群集にその姿を顕わしめる。
嗚咽にも似た祈りの声が、人の身で形作られた魔法陣に漣のように広がって行く。
神殿の如き白亜の肌と、天高く輝く太陽の如き黄金に輝く髪を持つ、神々しいまでに美しいその姿は、まさに唯一神アトンの現し身に相応しいものであった。





眩いばかりの黄金の輝きが、瞬時に真闇に包み込まれた。
一瞬、目がつぶれてしまったかと思うほどの鮮やかな反転。その余りの見事さにわたくしは暫し呆然としてしまった。

「エジプト……アスワン……オベリスク?」

それでも薄ぼんやりとした暗闇に目が慣れて来るに連れて、わたくしの脳裏に言葉の欠片がぽかりぽかりと浮かび上がってきた。
そんな言葉の欠片ピースがパズルのように嵌りだし、わたくしは徐々に記憶を取り戻していった。そうだ、わたくしはエジプトで“消されたファラオステナトン”のものと思しき神殿の結界を破るべく施術をして……

「失敗した……いいえ、違いますわね……」

そう、施術そのものは成功だったはず。術式も呪もきちんと収まることろに収まり、間違いなくあの神殿の結界は解かれていたはずだ。
だが、施術が進むにつれ、幾つもの呪の組み合わせが、気付かぬうちに別の術式の引き金を引いてしまっていたらしい。巧妙に仕掛けられた術式の罠といったところだろうか。

「慣れない術式を、調子に乗って使うものではありませんわね、ヒエログリフなんて……っ!?」

と、術式の記憶を反芻し再検討していたところに、いきなり別の術式が紛れ込んできた。
黄金に輝く陽光の下、白亜の神殿を中心に形作られた生きた魔法陣。フラッシュバックするように紛れ込んでくる砂漠の情景と、満足げに頷く人影の視界……

「あれは……ああ、もう! あの時はわかっていたはずなのに……」

あの時、あの瞬間。確かにそれが何であるかを理解していた。理解し、その進展に満足し、これから行われるであろう施術の成功さえも確信していた。達成感と満足感で高揚した心臓の鼓動さえ覚えて居ると言うのに、あの術式が何であったのかだけは全くわからなくなって居た。

「まあ宜しいですわ。形と呪刻は覚えていますもの、今度リンとでも……っ!」

これでまた記憶の欠片ピースが一つ嵌った。そうだ、あの施術はリンとペアになって行ったのだった。無事だったのか? それともわたくし同様に罠に嵌ってしまったのか?

「くっ……」

そのリンはと思い、慌てて周囲を見渡したわたくしは、自分の迂闊さに歯噛みした。
今わたくしが居るのは、薄ぼんやりとした暗闇に包まれた石造りの玄室。そこは施術を行った神殿とも岩山の頂とも似ても似つかない場所であった。

「瞬間移動? まさかそんな……っ!」

魔法の域では無いのか? と思い至ったところでまたしても驚愕に歯噛みしてしまう。飛ばされてきたらしいこの場所の、凄まじいまでの大源マナの密度。これなら魔法の域の術式とて不可能ではない。まして魔術は古ければ古いほど強大になる。ここは魔術の祖とも言うべき古代エジプトなのだ。
そう思いなおして再びあたりを見渡し、わたくしは別の疑問点に気がついた。ここには外光が入り込む隙間も見当たらないし、光源も無い。本来は真闇のはずだ。なのに、何故わずかなりとも光があるのか。

「わたくしとした事が……」

ここで漸くわたくしは自分の異常に気がついた。なんの事はない、光源は自分自身だった。
濃厚な大源マナに押されるように全力で回る魔術回路。更に精製された小源オドが身体から溢れ出し、腕の魔術刻印を発光させていたのだ。
わたくしは慌てて自分の魔術回路を制御した。気付かなかった理由もはっきりしている。これだけの活性状況なのに、いつもは感じる苦痛が全く無かったからだ。この玄室は大気さえ神秘そのものであるらしい。
危ないところだった。このまま回し続ければ、身体そのものがこの神秘に組み直され、下手をすると人以外の何かに変えられかねない。
妖精と交わった人間がそのまま半ば妖精になってしまう。幾多の御伽噺や伝説は故の無い事ではない。

「そうなったらどうなるのか……誘惑はされますけれど」

魔術師として、それはそれで悪くは無いかもしれないが、今はまだ人間に未練がある。わたくしは気持ちを切り替えて、リンが居ないかどうか再び辺りを見渡した。もしここに居るのなら、先ほどまでのわたくし同様、魔術刻印が輝いているはず……

「やはり一緒でしたのね」

居た。この真四角の玄室の丁度反対側の壁脇に、服の袖越しにぼうっと光る魔術刻印の煌き。どうやら、まだ意識を失っているらしく動きは無い。わたくしはもう一度周囲の様子を見極めてから、リンの傍に急いだ。

「……息はありますわね。脈も確か」

大丈夫、気を失っているだけだ。わたくしは幾分ほっとしながらリンの身体を抱き上げた。
ただ、やはりわたくし同様に魔術回路も魔術刻印も全開で回っているようで、服越しにさえ刻印の呪刻が読み取れるほど輝いている。きっとこのまま放っておけば、黒い角と尻尾が生えてきてしまうことだろう。

「リン! 起きなさい。寝ている場合ではありませんわ!」

それはそれでなかなか面白いとも思ったが、取り敢えず起こす事にした。
ただでさえ厄介な女なのだ、悪魔になどなられたら、それこそ手が付けられなくなるだろう。今も似たようなものだけれど。

「……あ、うう……きもちわるい……」

わたくしの声で目を覚ましたリンだったが、相変わらず寝起きは悪いようで、刻印の輝きに照らされた瞳はまだ薄ぼんやりと沈んでいる。

「気持ち悪いではありませんわ、とっとと回路を制御なさい!」

とはいえ今はそんな事に付き合っている暇は無い。面白いほど座りの悪い頭をかくかくと揺さぶり、わたくしはリンの目覚めを促した。

「回路? あ、本当だぶんぶん回ってる……はは……へっ!」

そんなわたくしを、どこか取りとめの無い表情でへらへらと眺めていたリンだったが、ここで漸く事態に気が付いたらしく思い切り上体を起こしてきた。

「なっ!」

「あがっ!」

避ける間もなくリンの頭は、覗き込んでいたわたくしの額に正面衝突してしまう。こ、この馬鹿女! ちゃんと前を向いて起きなさい!

「痛いじゃないの! 何でそんなとこに顔を置いてるのよ!」

「つぅぅぅ……交通事故はぶつかって来た方の責任ですわよ!」

しばらく頭を抱えて呻きあって居たのだが、目尻に涙を浮かべたリンがきっと顔を上げて睨みつけてくるので、思わず睨み返してしまう。そのまま暫し涙目で睨み合うわたくし達……ああ、もう。こんな事をしている場合ではありませんのよ!

「取り敢えず、そういうことにしといてあげる。ところで、どうなってるの?」

「わたくしだって目を覚ましたばかりですわ。それを確かめるために貴女を起こしたんですのよ」

回路を治めながら、周囲を訝しげに見渡すリン。些か物言いが気に入らないが、ここは先に起きたわたくしが大人になってやらなければならないだろう。わたくしは目が覚めてから気付いた点をリンに説明し、とっとと現実に引きずり込んでやることにした。

「と言うところですわ。まずここから確かめましょう。今、灯りを作りますから」

「そうね、しかし……とんでもない大源マナの密度ね……」

流石に目を覚ましたリンは聡明だ。わたくしの簡単な説明に頷くと即座に回路の制御を取り戻した。
となれば次は現状の確認。わたくしは、互いの回路が収まるにつれ薄れる刻印の輝きの代わりに、この玄室を照らす灯りを作るべく発光の呪を編んだ。

「きゃ!」

「ば、馬鹿!」

途端、玄室が凄まじいフラッシュの閃光のような輝き満たされる。光の奔流は闇と同じ、これでは眩しくて何も見えない。瞬時に呪を落としたが、おかげで折角闇に慣れた目が元に戻ってしまった。

大源マナの密度が濃すぎなの! 呪が暴走する事くらい予測しなさいよ!」

「さっきまで、のほほんと寝ていた人に言われたくありませんわ!」

改めて作り直した光の呪で玄室を照らしながら、わたくし達はまたも睨み合ってしまった。

「……話が進まないわね……」

「……そうですわね、今のミスは認めますわ。わたくし達の術式を使う場合は、かなり慎重を期さないといけないようですわね」

「うん、気をつけましょ。じゃ、まずここからね」

とはいえこのまま睨みあっていてもどうにもならない。わたくし達は互いに小さく溜息をつきながら気を取り直し、自分達が飛ばされてきたこの玄室の調査から始める事にした。




「どう思う?」

「構造は、多分エジプト新王国期の地下墳墓ですわね、埋葬室の側室か後室だと思いますわ」

「そんなとこだと思うけど、それにしてもとんでもないものよ? これ」

わたくし達は玄室の中央に立ち、床に天井、そして壁一面に刻み付けられた呪刻を見渡しながら、呆れたように溜息をついてしまった。

「……人造霊脈。空間湾曲ですかしらね、エジプト一帯の霊脈を捻じ曲げてここに導いていますわ」

「ここがメインで、連動するように周囲三箇所の基点から根こそぎ持ってきてる。どうやら、わたし達はスターターにされたってとこみたいね」

三千年余り蓄積されてきた魔力と、わたくし達の回路と刻印、それで最初のひと押しをしたのだ。
あとは汲み上げた魔力で更に呪式を回し、それによって益々多くの魔力を汲み上げ、世界から基点で囲まれた地域を切り離し、そこに大源マナを満たして行く。
薄まった神秘を圧縮し、凝縮する事で限られた空間に神秘を満たす。これは一種の異界構築装置なのだ。

「とはいえ、これをどうこうは無理ですわね」

「セイバーでも居れば、力づくでぶち壊せるかもしれないけどね」

起動していないのならともかく、ここまで大規模な魔術装置だ、このように一度起動すれば自己防衛が始まってしまう。英霊の力ならば何とかできるだろうが、わたくし達では精々構造を読んで後に生かすことくらいしか出来ない。

「ですけれど、やられっぱなしと言うのは些か気に入りませんわね」

「何とか手持ちの道具だけで……っ!」

そう思い、手に残った道具を取り出そうとしたところで、一足先に自分の道具を確認していたリンが息を呑んだ。

「どうなさったの?」

「ルヴィアも見てみると良いわ。参ったわね……」

リンの言葉に従い、わたくしも手持ちの石や道具を確かめて絶句してしまった。尽く魔力のオーバーフローで砕けてしまっている。
改めて気が付いて冷や汗が流れる。もしわたくしの魔術回路や刻印のキャパシティがもう少し低かったら……この道具たち同様に砕けてしまっていたかもしれない。

「……全滅ですわね……」

「わたしは一個だけ、空っぽだったのが幸いしたみたい」

罅割れ光を失った宝石をばらばらと掻き出すわたくしに、リンは仄かに光る赤い石の嵌ったペンダントを取り出して見せてくれた。

「……見覚えがありますわね、シェロが持っていたものと同じですの?」

「え? ……ああっ、うん。そんなもの」

魔力を失った遺物アーティフィクト。わたくしがシェロに見せてもらったお守りは、それに新たな呪刻とどこか異質な魔力を籠めて再加工された物だった。
どうやらこちらはその原型なのだろう。今では魔力に満たされ、世紀単位の歴史が刻みつけられた遺物アーティフィクト本来の姿を取り戻している。

「なかなかの品ですけれど、今ここで役に立つ品ではありませんわね」

「まあね、あくまで魔力のブースト用だもの。今のわたし達は魔力に関しては有り余ってるし」

かなりの魔力の貯蔵量と、誰もが引き出せる汎用性の高さは流石だが、これは魔力の外付けタンクのようなものだ。普段ならともかく、嘗てないほど魔力に満ちたわたくし達にはさして用を成さない。今は小技の利く魔具や、即発できる呪を刻んだ石の方が助かるだろう。

「自前の技量で勝負するしかありませんわね」

「そうゆうことね、まずはここをどう出るかよ」

わたくし達は、改めてこの呪刻に覆われた玄室を眺め回した。わたくし達をこの場所に飛ばした魔法陣こそあるものの、これは出口専用で一方通行のようなもの、これは使えない。
かと言って目に見える扉はどこにも見当たらない。これだけの魔術装置、完全な密閉とも思えない。どこかに隠し扉なり呪なりがあるはずだ。

「これね……」

「組み合わせ錠ですの?」

見つけた。部屋の呪刻に巧妙に紛れながら、それでも独立した一連の呪刻。ヒエログリフによる呪刻がそれぞれ刻まれ、回転するように設えられた三つの同心円。どうやらこの呪刻の組み合わせが鍵のようだ。

「ああ、もう。機械錠じゃないこれ……呪式ならまだ判るのに……」

思わず地団太を踏むリン。わたくしも同じ思いだ、シェロならともかく、わたくし達に機械鍵は鬼門だ。

「…………」

だが、これは些か違う。と言うよりも見覚えがある。
第一の円は神殿、第二の円は神官、そして第三の円は群衆。三つの呪刻が一つに重なり、時が満ちる……

―― 開!――

と、記憶に浮かぶ図式に合わすように円盤を動かすと、いきなり壁の一部が陥没し、静々と床に沈んで行った。

「ルヴィア。あんた……」

「……飛ばされた時に何かに触れたようなんですの。これと同じ呪刻を見せられましたわ。リン、貴女は?」

「……わたしは何も見せられて無いわ。それより、ルヴィア。今度からそういう事は先に言ってよね」

「そう……少しばかり短慮でしたわね」

軽く眉を顰めるリンの言葉に、わたくしもこめかみを押さえながら頷いた。確かに余りに不用意だった。上手く開いたから良いものの、もし何かの罠でも仕掛けられていたら、どうなって居ただろう。何か悪寒のようなものを感じながら、わたくし達はこの人造霊脈の部屋を後にした。




「埋葬室……ですかしら?」

「……みたいね。いきなり本命? そりゃ奥から進んでるんだけど」

どうやら本当に、あの人造霊脈の間は最深部だったようだ。
灯りを先に立て、わたくし達が出て来たのは、埋葬室。つまりファラオの棺を安置した玄室の一番奥の壁だった。
目の前には巨大な石棺を収める一段下がった祭壇。そして棺の前面に柱の立ち並ぶ列柱部が続き、そこから多分、地上に続いているだろう扉まで見渡せる。

「それにしても寂しい棺ね、厨子も棺覆いもなし?」

「最後は反乱で殺されたファラオですもの、そこまでの用意は整わなかったんじゃないかしら?」

リンのどこか残念そうな声に、わたくしは棺を眺めながら応えた。ただ、今リンの言った装飾を抜きにしても異様な棺だ。棺と同じくらいはあろうかと言う巨大な石塊で蓋をされた棺、それは木乃伊を護る為と言うより、封じる為に置かれたもののように見える。

「……もしかして側室も今の部屋だけかしらね?」

「壁画も天井も未完成のようですし、どうやらそのようですわね。でもそれが何か?」

「それじゃあ、聞くけど、カノポスは何処? あれが無い木乃伊なんて聞いたことも無いわよ」

「あ……」

言われて気が付いた。木乃伊はその作成段階で、内臓をその魂の構成要素に見立てて別個、カノポスに収めて安置する。
肝臓をカー生命、脾臓をバー精神、肺腑をサフ聖霊、そして腸をイブ肉体に。木乃伊とはそれらが揃っている事で、初めて復活出来るとされている物なのだ。

「不完全な装飾ですから、棺の中ではなくて?」

「かもね、確かめる?」

「遠慮したいですわね」

とはいえ復活しかねない木乃伊との対面などは、御免こうむりたい。後々の事を考えれば、ここで何か仕掛けを施しておきたいところだが、今はとにかくこの墳墓からの脱出が優先であろう。

「そうね、それじゃとっとと抜けましょ」

リンも同じ意見のようだ。わたくし達は棺を慎重に迂回し、列柱の間を抜け扉に向かった。

「ああ、やっぱり」

「簡単に抜けさせてはくれませんわね……」

だが案の定、玄室の扉は施錠されていた。放射線状に光彩を放つ太陽を象ったレリーフ、その一部が扇型にぽっかり抜けている。多分これが鍵穴。こんなものがあるのだから、開けられないというわけではないのだろうが……

「さっきの部屋にもここにも、それらしいものは無かったわね」

「それどころか、そんなものが隠されているような場所だって……」

と、腕組みしながらここまで話を進めて、わたくし達は顔を見合わせてしまった。そのまま思い切り眉を顰めて振り返る。一箇所だけ、そんな物がありそうな場所に思い至ったのだ。
そう、鍵の掛かったこの部屋、実は住人が居る。
復活の日までこの部屋で眠りにつき、いずれは起きるとされている住人。だとしたら目覚めた時、ここから出るために鍵を開ける必要がある。

「鍵があるとすれば……」

「あそこだけですわね」

わたくし達は揃ってげんなりと肩を落とし、再び棺の安置してある祭壇に取って返した。結局、木乃伊に拝謁しなければ進むことさえ出来ないらしい。

「さてと、それじゃとっとと持ち上げましょう」

「わたくし達が魔術師で無ければお手上げでしたわね」

戻った棺の前でわたくし達は即座に呪式の用意を始めた。
使う呪は重力制御。ただ、魔力の密度が半端でないだけに、えらく力加減が難しい、慎重にやらなければ、暴れまわった蓋石にわたくし達自身が押しつぶされかねない。

「それじゃ行きますわよ――En Garandレディ――

「了解。――Anfangセット――」

慎重に正確に両脇から呪を蓋石に流し込み、地に引かれる重さのみを軽減する……

「ちょっと待って、これ……」

だが、蓋石の“重量”は消えたと言うのにびくとも動かない。慣性は消せないものの、抵抗が無い以上、このまま横にするりと抜けるはずなのだが……

「ただ置かれているわけではありませんわね……」

「……ロックされてるわね。この感触……機械式じゃなく呪式みたいね」

「だとすれば、錠となる呪刻がどこかにあるはずですわね」

わたくし達は、むき出しの岩盤のような石蓋を見上げ嘆息した。何処もかしこも鍵だらけ。なにか鍵を開ける為だけに呼ばれたような気がする。

「石棺にも蓋の側面にもそれらしい呪刻はなしと……」

だからと言って止まってはいられない。わたくし達は気を取り直し、棺の周囲を巡りながら事細かに調べていった。

「あるとすれば上面ですわね。リン、申し訳ありませんけれど背中を貸してくださる?」

そんな理由で、踏み台にして差し上げようと申し出たのだが、リンは軽く眉を上げて反論してきた。

「ご冗談、わたしのほうが軽いわよ。あんたはその無駄にでかい胸と尻があるんだから」

「あら? 貴女のお腹の肉で帳尻は合いますわよ?」

「……言ってくださいますね、レディルヴィアゼリッタ」

「事実は変えられませんのよ、ミストオサカ……」

売り言葉に買い言葉、そのまま唸りを上げて睨み合うわたくし達。

「……止めましょう。馬鹿馬鹿しいし」

「始めたのはそちらでしてよ? ですけれど、確かに疲れるだけですわね」

だが、それもつかの間。わたくし達は又も溜息交じりに頷き合うと、両手を後に隠して次の勝負に移る事にした。

「……卑怯者、後出しするなんて」

「リン、あれはどう見ても貴女が先に出しすぎただけですわ」

石拳じゃんけんの結果はわたくしの勝ち。リンの背を踏み台に、わたくしは石蓋の上に這い上がった。
やはりあった。石蓋の上面に這わせた指先に触れる呪刻の感触を確かめながら、わたくしは光の呪を編みなおし、石蓋の上面を照らし出した。

「当たりですわ。リン、御覧なさい」

「……それはまず、わたしを引き上げてから言ってくれる?」

ああ、忘れていた。わたくしは自分で言うほど軽くはないリンを引き上げ、石蓋に刻まれた碑文を指し示した。

「ス……テ……ナトン。本物なのね……」

「なにを今更、ここの魔力の渦を見ただけで、ただの墓でない事は明らかでしょうに」

感嘆交じりに碑文を読み上げるリンの声に、わたくしは呆れたように返事を返す。

「でも、これは特別よ、いかにも古代エジプトの秘宝じゃない」

「まあ、ここまで魔力以外は地味でしたものね」

そうは言っても、気持ちは分からないでもない。石棺の上には極彩色で描かれたステナトンの全身像。その周りに刻まれた呪刻は黄金で縁取られ、その色彩も全て本物の宝石で刻まれている。他の部分は盗掘にでもあったように飾り気のないこの玄室で、ここだけは紛れも無く古代エジプトの秘宝なのだ。

「思ったより華奢ね、それに色も変。髪が金で肌が銀? こんな色彩始めてみたわ」

「銀では無くて白ですわよ」

それでも、なおも詳しく調べようと石棺の上に屈み込んだリンに、わたくしは嘆息しながら応えを返した。

「なに? 白い肌?」

問い返したリンに、わたくしは一瞬言葉に詰まった。白い肌? わたくしは何を言ったのだ?

「ルヴィア? ちょっと大丈夫?」

「え? ええ、大丈夫ですわ。ちょっと混乱してしまいましたの……」

あの夢で見たあの姿。あれがステナトンだったという事なのだろうか。わたくしは心配げに覗き込むリンに向かい、軽く頭を振りながら応えた。しかし何故? どうやらリンは見ていないようだけれど。

「心配かけないでよね、多分これが鍵だと思うけど、あんたはどう思う?」

そう言ってリンは、ステナトンの肖像の胸元に黄金で刻まれた円盤状の装飾を指し示した。

「……天宮図?」

「名前やシンボルは違うけど、黄道十二宮に七惑星。多分これの組み合わせね」

「……“復活の刻ここに刻むべし。真の肉体の為、扉は開かれん”……どう言う意味かしら?」

「よくわかんないけど、とにかくこの鍵を開くにはその“復活の刻”って言う日の天宮図を形作れば良いみたいね」

「ですけれど、それって何時ですの?」

わたくし達は、暫らくお互いに顔を見合わせながら考え込んでしまった。そんな日がわかるくらいなら……っ!

「ルヴィア。今日の天宮図覚えてる?」

「時刻はどうします?」

「エジプトの一日の始まりは日の出よ」

「六時五十分ですわね。となると……」

わたくし達は二人で天宮図を組みなおしていった。外円の黄道十二宮にそれぞれ内円に刻まれた惑星の呪刻を合わせて行く、アトンは太陽、トトは水星、金星は確かイシス……

「ああ、もう。イシスの呪刻が無いじゃないの!」

だが、その呪刻だけがすっぱりない。メダルのように円形に削り取られた呪刻にリンが歯噛みする中。わたくしは吸い込まれるようにその部分を凝視して居た。イシスの……メダル……
わたくしはポケットに滑り込ませて居た、小さなイシスのコインを取り出し、導かれるようにその狭間にはめ込んでいた。

「……ルヴィアそれって……」

「ええ、昨日ギザで手に入れたものですわ」

ギザの砂漠の中。どんな偶然の積み重ねの結果か、いつの間にかわたくしの手に入っていたコイン。いや、あれは果して偶然だったのだろうか?

「ともかく、これで天宮図が形作れますわ」

「……そうね、まずはここから出ることが先決ね」

お互い幾ばくかの不安は抱きながらも、わたくし達はそれを振り払うように天宮図の作成にいそしんだ。ネフティス火星ネイト木星セトを、そして最後に土星アヌビスを今日の日の出の位置にあわせて行く。

―― 動 ――

「きゃ!」

途端、巨大な石蓋が横滑りした。
重力制御の呪が生きているせいで下には落ちなかったものの、棺の真横にずれ宙に浮かぶ石蓋の上で、わたくし達は折り重なるように倒れこんでしまった。

「くぐぅ、やっぱり重いじゃないの!」

「つぅ、クッションにもならないよりましですわ!」

わたくし達はそんな罵りを呟きあいながらも、縺れ合った手足をなんとか振りほどき、不安定に揺れる石蓋から慎重に降りた。そして揃って息を殺しながら、開かれた石棺をそっと覗き込む。
中には、先ほどの石蓋同様にステナトンの似姿に形作られた黄金の内棺が安置されている。わたくし達は更にその棺を開いてみた。

「……驚いた。華奢だとは思ってたけど」

「女性? 女王だったんですの?」

そしてその中。数々の黄金と宝石に飾られ、経帷子に包まれたその姿は、木乃伊になってさえ黄金の髪と柔らかで豊満な曲線に縁取られた、美しい女性の姿だった。

「しかも、これって白人種コーカサイドじゃない。どゆことよ……」

「……黄金の女神……」

「ルヴィア?」

「あ? いいえ、何かそんな理由ではないかと思いついただけですわ」

唯一神にして象徴神たるアトンには、それまでの神のように人の形をした似姿はない。しかし、それでもなお、民衆を納得させる為には、今までになかった形の具象化された姿が必要だった。それゆえに探し出され、神の現し身。
白い体は太陽の白光を、金色の髪は極冠コロナを……何故かそんなことが心の中に浮かんだのだ。

「それよりも、やはりカノポスはありませんわね」

「……そうね、どう言うことかしら? 魂のない肉体だけ置いといたって意味ないじゃない」

そんな気持ちを誤魔化すように、わたくしは内棺の中の装飾品を見渡してリンに指摘した。どこか訝しげにわたくしを見ていたリンだったが、それでも視線を木乃伊に移し、何か一つ思い切ったように棺の中に両手を差し入れた。

「心臓もないわよ、これ……」

「妙ですわね……」

暫らく木乃伊の身体をまさぐっていたリンだったが、その胸元を押し開くと、些か驚いた顔になってわたくしに視線を戻してきた。
確かにぽっかり空いた胸元には、本来そこにあるはずの心臓が無い。古代エジプトでは心臓こそが肉体の核。これこそが木乃伊の本体であると言って良い。それが無い木乃伊などは……ただの抜け殻に過ぎない。

「まあ、いいか。そういうことならこの木乃伊はただの干物って事だし。ええと鍵は……」

「これではないかしら?」

とはいえいつまでも驚いて入られない。それならそれでと気持ちを切り替えたのか、今度は無造作に装飾品を物色し出したリンに、わたくしは木乃伊の胸に置かれた、太陽の一部を切り取ったような扇型で、中央にイシスの印が嵌ったヘッドの付いた首飾りを指し示した。

「またイシス金色の女神? でもこれみたいね」

「それでは試してみましょう」

まず間違いないだろう。頷くリンを横目に、わたくしは木乃伊から首飾りを外すと、ごく自然に自分の首にかけていた。

「……ルヴィア。自分の首にかけることないんじゃない?」

「あら? ええ、確かにそうですわね」

益々訝しげに眉を顰めるリンの言葉で、わたくしは始めてそのことに気が付いた。だが、なぜか外そうと言う気が起きない。そんな様子に肩を竦め、リンはわたくしの首からその首飾りを外そうと手を伸ばした。

―― 振!――

「え?」

「な!」

その瞬間。いきなり、ステナトンの木乃伊が起き上がった。
そのままゆっくりと虚ろな視線をさ迷わせたかと思うと、木乃伊は一気にわたくし達に向かって襲い掛かって来た。

「ルヴィア!」

「え? きゃ!」

一瞬、呆気にとられて棒立ちになってしまったわたくし達だったが、リンの方が立ち直りは早かった。当然木乃伊の狙いは首飾りと見て取って、素早くわたくしを突き飛ばし、木乃伊とわたくしの間に割り込んだ。

「くっ!」

だが、身構える暇までは取れなかった。鋭い爪に胸元を引き裂かれ、微かに赤い筋を引きながら膝を付く。

「……」

と、ここで木乃伊の動きが止まった。
その虚ろな視線はわたくしではなく、リンの胸元を凝視して身動ぎもしない。

「……なに?」

リンもそれには流石に訝しげに眉を顰めた。木乃伊の視線の先は、その胸元。裂かれた服から毀れ出した、先ほどの赤い石の嵌ったペンダントヘッド。一体、それがどうしたというのだろう?

―― 飢ァ!

「リン!」

が、そんな事を考える暇もなく。木乃伊は思いのほか素早い動きで、再びリンに向かって襲い掛かって行く。慌ててわたくしも袖口からナイフを取り出し、軽く呪を乗せつつ木乃伊の背中に切りかかった。

「ちっ!」

「駄目、こいつに刃物は意味無いわよ!」

だが、刃は木乃伊の乾いた身体を僅かに削る事しか出来ない。先ほどの僅かな暇に体勢を立て直すことが出来たリンは、木乃伊の爪を、拳で二の腕で防ぎつつ、ここぞばかりに膝を、肘を叩き込んでいる。ああ、そうか打撃だ。

「ああ、もう軽すぎる。ルヴィア! あんたの胸かお尻貸しなさい!」

「なに馬鹿な事を言っているんですの!」

とはいえリンの打撃では軽すぎる。わたくしだって同じようなもの、このままでは千日手。いえ、スタミナに切りが無い木乃伊のほうが有利か。
わたくしは必死で周囲を見渡し何か使えそうなものを探した。

「リン! こちらに!」

見つけた。わたくしは素早く木乃伊とリンの位置を見極めると、宙に浮かんだままの石蓋の下を潜り反対側に移動し、そこからリンに声をかけた。

「っ! わかった! 今行く!」

それだけでリンはわかったようだ。木乃伊の胸を一蹴りして動きを制すると、脇目も振らず、こちらに向かって駆けてくる。

―― 飢ッ!

が、木乃伊も当然追いかけてくる。僅かに掌一つ程の差で追いすがる木乃伊を背に、リンは滑り込むように石蓋の下を潜り抜けた。

「――Pare切呪)!」

今だ。わたくしはリンの頭が石蓋のこちら側に滑り込むと同時に、石蓋に置いた掌を通して、石蓋にかけられていた重力制御の呪を切り落とした。

―― 轟!――

「きゃ!」

途端、木乃伊の真上で巨大な石蓋が重力に引かれて地に落ちる。
石蓋の端から僅かに顔を出した掌一つ。それが“消されたファラオ”ステナトンの木乃伊が残した唯一つの名残だった。

「……やったの?」

「多分、見事に砕けたようですわ」

わたくしはその掌を踏み砕き、落ちた石蓋に背を預けてへたり込んでいるリンの隣に腰を落とした。何かわけの分からないまま、どっと疲れてしまった。

「なんか……あっけないわね」

「……本当に、なんだったのかしら?」

「さぁ? 全然わかんないわね」

一体、これはなんだったのだろうか? さっぱりわからない。
しかしそれが、木乃伊の墓石となった石蓋に揃って凭れかかってへたり込む、わたくし達の偽らざる本心だった。

to be Continued


後編、飛ばされた凛たちは? のお話でした。
魔術師としては涙を流して喜びたくなるような神秘に包まれて、何故か一番奥に飛ばされていた凛とルヴィア。
まずは脱出と、外に向かいますが……
今回は繋ぎの話でした。次回、救出作戦の成否や如何に。

by dain

2005/2/2 初稿
2005/11/24 改稿

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