見覚えのある光景が目の前に広がっていた。
広大な砂漠、そこに屹立するピラミッドのような白亜の神殿。そしてそれを囲む神官と群臣の群。

「……成程、そういう事だったわけね」

わたくしの隣で、リンが感心したような声を上げる。
それはそうだろう、これはわたくし達魔術師にとって驚異な事でもあるが、同時に至極当然の帰結でもあるのだから。

「唯一神アトン。魔術師にして王たるファラオを通してのみ顕現する力。新たな霊脈たるアマルナの地を築き、古い神々への人の信仰心を一極の神の名の元に束ね、そこに集約することで大魔術を行使する。確かにこれならば“届く”かもしれませんわね」

わたくし達は、壁に描かれた極彩色の壁画を、瞬きもせずにじっと見据えていた。
遠近法のない、古代エジプトの象徴画ではあってもはっきりとわかる。この神殿、神官に群臣。全てはとある大魔術の為の魔法陣なのだ。

「つまりアトン信仰と言うのは……」

「……魔法、つまり“根源”への道だったわけね」

神殿の最頂部、遠近法を無視してひときわ大きく描かれている、金髪白身の女王ステナトン。そしてその頭上、全ての呪刻が焦点を結ぶ空に描かれているのは、ぽっかりと虚ろに開いた黒い太陽。

“根源”へ続く門の姿だった。





Fate/In Egypt
く れ な い の さ ば く
「硝砂の魔術使い」 ――EMIYA―― 第三話 後編
Heroic Phantasm





「……なにこれ?」

鍵を手に入れ、ステナトンの木乃伊の眠る埋葬室から出たわたくし達の目に、真っ先に飛び込んできたのは、異様なまで鮮烈な赤で塗り込められた前室の壁だった。

「本来ここは、王と神々の対話が刻まれている部屋のはずですわ……」

一番奥から進んでいるため順番が逆になってしまってはいるが、本来この部屋は王の眠る埋葬室の前室に当たり、墓に入る王が神々から審問を受ける場所だ。その為、この部屋の壁には神々から審問を受ける王の姿が描かれているはずなのだ。

「……赤い染料を含んだ漆喰みたいね……後付けよこれ」

「という事はこの下に何か隠されているという事ですわね……」

そこまで言うと、わたくし達は顔を見合わせて頷きあった。後は無言で施術の準備に入る。先ほどの埋葬室で、ステナトンの木乃伊を葬ってから、わたくし達の頭は疑問符で覆われて居た。ともかくなんでも情報が欲しい。
それになにより、明らかに隠されている物を見つけて、それを掘り返さない魔術師など居ない。これはわたくし達の本能のようなものだ。

「もうちょっと具体的な術式まで踏み込んでくれてたら、良かったんだけど」

「それは贅沢と言うものですわ。これは魔術書ではなく、あくまで祭礼の図ですもの」

そして赤い染料の下から現れたのが、この壁画だったと言うわけだ。
唯一神アトンと、その唯一の伝道者である王の手による祭礼の図。アトン信仰を旨としたステナトンならば、当然この壁画という事なのだろう。

「でも、これって失敗したって事よね?」

「ですわね。成功していたならば、こんな所で魂のない木乃伊抜け殻なんかになっているわけありませんものね」

その壁画を、暫らく息を呑んで見据えていたわたくし達だったが、どちらともなくそのことに気がつき、お互い複雑な溜息をつきながら顔を見合わせた。
魔法への道、それは全ての魔術師が目指し望みながら、殆どの魔術師が決してたどり着けぬと諦めている道でもあった。魔術を学び始めてから今日までに、一体どれほどこの道に挑み、敗れていった魔術師の話を聞いただろうか? ステナトンも、その長いリストの一員であったのだろうか。

「ステナトンは一種の巫女だったみたいね」

改めて壁画の内容を詳細に確かめながら、リンが呟くように口を開いた。

「根源への接触実験そのものは、元々は前のファラオ、アクエンアトンが三十年かけて用意した物のようですわね」

「うん、今までの神々と全く別種の神。本来具象化された姿を持ってないアトン神を象徴する為に、わざわざ遠征隊まで出してコーカサイドの金髪娘を連れてきたみたいね」

根源の象徴。魔術師にとっては具象化された姿など必要はなくとも、民衆の信仰と言う力を集約する為には、レンズとしての具体的な姿が必要だったのだ。尤も、それだけというわけではないが……

「ついでに魔術師としての才能もあったから、養女と言う形で根源への接触実験の責任者に据えたらしいわ」

そうだ。魔術師としてステナトンは、アクエンアトンよりはるかに優れていた。

「ははん……それが接触実験直前に反乱を起こして、ファラオの地位と実験そのものを乗っ取ったってわけね」

当然だ。アクエンアトンは子供が玩具を欲しがるような無邪気さだけで根源を求め、全てを贄に差し出そうとした。
だがステナトンは違う。ステナトンが根源に触れようとしたのは全てを救うためだ。全てを犠牲にしてでも全てを救おうと思っていたからだ。

「でもどうやって? 魔力はここの奥の奴を使うとして、術式は屈折と集中……レンズみたいなものね、確かに門は作れそう。でもそれだけじゃ開かないわ。どうやって開けるつもりだったんだろう……」

「魂ですわ」

「え?」

「信仰心、いいえ信仰の残留思念かしら? アトン神と合一して永遠を得ようとする人の信仰心を集め、術式で作った歪みにぶつけて門を開こうというものですの」

「でも、たかがその程度じゃ……」

「ええ、一つ一つはたかが知れていますけど、それが何万、いいえファラオの支配する全ての人の分だとしたら?」

「ルヴィア……」

「気持ちは分かりますわ。とんでもない事ですものね」

リンが眼を丸くしてわたくしを見詰めている。それはそうだろう、この実験ではエジプト全土の民を生贄にしようとしていたのだ。だが、それでも全世界を救うためには安い代価であったのだ。

「違うわよ、ルヴィア。わたしが驚いたのはね……」

だが、リンは表情を改めわたくしの言葉を遮り、一つ息をついてから、わたくしに挑むような視線を向けて言葉を続けた。

「なんであんたが、そんなこと知ってるかって事の方よ」

「えっ……」

一瞬言葉に詰まった。わたくしがなにを知っているというのだ? ……ステナトンの事、古代エジプトの接触実験の事……なんでわたくしはそんな事を知っていたのだ?

「つっ!」

太陽の照りつける砂漠、白亜の神殿、三重の魔法陣。途端、次々とカットバックしてくる記憶の奔流にわたくしは膝をついてしまう。

「ルヴィア?」

「大丈夫ですわ、ちょっと混乱して。覚えてます? ここに飛ばされた時に、わたくしが何かに触れたらしいということ、言いましたわね?」

「ええ、聞いたわ」

「どうやらそれがステナトンの記憶だったみたいなんですの。それでわかったんですわ」

多分、容姿の類似による共感だろう。これだけ大源マナが濃ければそのくらいのこと起こっても不思議ではない。それに、それならばリンが見なかったことも説明がつく。

「じゃあ、なんでこの実験が失敗したかもわかる?」

「それは……」

わたくしはリンの言葉に記憶をまさぐってみた。なにか……赤? 浅黒い肌……ああ、よく見えない。

「いいえ、それはわかりませんわ。何か記憶に霞がかかっているようで……」

じっと見据えてくるリンに、わたくしはこめかみを押さえたまま、溜息混じりに応えを返した。
荒れ狂うナイル、闇に包まれた大地、地に飲み込まれるように崩壊する神殿。フォラッシュバックするように蘇るのは、全てその後の出来事ばかり。何故それが引き起こされたのかとなると、赤いベールに包まれて見えてこない。

「ただ……」

わたくしは、そんな曖昧な思いを振り払うように首を振り、気を取り直して視線を前室から真っ直ぐ続く階段に移した。

「この先、治世の間には王の事跡が描かれているはずですわ」

この先、王の遺体が冥府に下る途中の休息所に当たる玄室。そこは統治の間として、王の生前の業績が描かれているはず。
それがステナトンならば、当然この災害の原因となった接触実験についてであるだろう。

「そうね……、まあ、いいわ。考えてみたら落ち着いてる暇なんてなかったんだし」

「……脱出が先でしたわね……」

壁画に気を取られて時間を費やしてしまったが、わたくし達は未だ囚われの身だ、とにかくここを出なければ話にならない。お互い、胸に何か引っ掛かりを残したままではあったが、わたくし達は先に進むことにした。





「……次はどんな部屋なのかな?」

流石に二つ目となると俺も慎重になる。今度は、まず門を開く前にアケメス師に次の部屋について聞いてみることにした。

「次は守護の間であるはずだ……」

瞑目しながら記憶を検索するように話し出したアケメス師によると、第一の間が王にひれ伏す諸臣が控える間であるなら、第二の間は王が眠る墳墓の入口を守る神秘なる守護者の間なのだそうだ。

「ってことは本格的な化物が待ってるって事か……」

「ではまず私が」

と、いまだ閉ざされている門をじっと見据えていた俺の脇を、セイバーが通り抜けようとした。

「待った、セイバー」

「なんでしょう、シロウ」

思わず呼び止めた俺だったが、何事も無かったようにしれっと見返してくるセイバーに少しばかり気圧されてしまう。いやあ、きっと怒るだろうなぁ……とはいえ、今は言わないわけにはいかない。

「今度は後ろに回ってくれ」

「なっ!」

ほら、怒った。
一瞬絶句したセイバーは、怒髪天を突くような勢いで俺に食って掛かってきた。

「どう言うつもりですか、シロウ! この中で一番耐性が高い者も、対処能力に優れている者も私です。まさか……シロウが先陣を切るなどと言い出すわけではありませんね?」

「いや、そんな気は無い」

だが、こんなにむきになって来るって事は、自分でもちょっとは自覚があるって事だ。となれば、言えばわかってくれるだろう。

「桜、オーウェンはまだ暫らくそのままで居られるんだろ?」

では誰が? と顎を上げて睨んでくるセイバーを敢えて無視して、俺は桜とオーウェンに話しかけた。

「え? はい、あと一時間くらいはこのままでも大丈夫だって言ってます」

――Gruu……

それにこくりと頷いて唸るオーウェンと、それを通訳してくれる桜。

「むっ……」

「そういう事だ、オーウェンなら大抵の事なら大丈夫だろ? 鼻も利くし」

「そ、それは鼻は利きませんが……」

――王よ、主は心配しているのだ。今の王は確かに強いが些か不安定であろう?

それでも尚渋るセイバーに、今度はランスが苦笑交じりに一声鳴いて諭してきた。

「な、なにを心配していると……」

――落ち着いて抑えている間は良いが、一度無理に回せば何時また箍が外れるか判らぬ。今の王の心臓をそう見たが如何に?

「……くっ」

慌てて食い下がろうとしたセイバーだったが、真正面から覗き込むように懇々と説くランスに、徐々に声が小さくなる。図星だったらしい。
今のセイバーは、パワーはあるが整備が無茶苦茶のスーパーカーみたいなものだ。しっかり抑えながら動かなきゃなら無いのだから、先陣よりも二番手以降の方が良い。

「納得してくれたか?」

「わかりました、今回の先陣はオーウェンに譲りましょう……」

それまで頑と門の前から動かなかったセイバーだが、これで漸く渋々とオーウェンに先を譲ってくれた。

「良いですか、オーウェン。危なかったら直ぐ私に伝えるのですよ」

それでも、すれ違いざまに一言注意を怠らない。それを眺めながら苦笑するランスに、俺も苦笑で返した。王様時代もこれだったんだな、そりゃお前も苦労したろうな。

「それじゃあ、開けるぞ」

ともかく、これで用意は出来た。俺はそんな恨みがましい顔をしたセイバーに苦笑しつつ、門を押し開けようと一歩前に出た。

「なっ!」

「シロウ!」

「先輩!」

途端、俺はいきなり開いた扉に弾き飛ばされた。

「がっ!」

そしてそのまま、門から飛び出してきた何者かに圧し掛かられた。クソッ、動けない。

「え?」

必死でもがきながら、顔を上げたところにあったのは……豊かな乳房と……女の顔?

――Grawww!

一瞬呆気に取られた俺だったが、次の瞬間、金色の閃光が視界一杯に広がったかと思うと、ふっと身体が軽くなった。

「先輩! 大丈夫ですか?」

「オーウェン! 待ちなさい! 誘いに乗ってはいけない!」

続いて俺に駆け寄って来る桜と、門の向こうにもう一頭の獣とともに消えようとするオーウェンを、必死で制止するセイバーの声が響いた。

「な、何だったんだ?」

桜の助けを借りて起き上がった俺は、門の前で歯噛みするセイバーと、その向こうで揉みあう二頭の獣を目にして一瞬呆気に取られてしまった。

「有翼獅子身の人面獣……守護者とはスフィンクスであったか」

それに応えるように落ち着いたアケメス師の声が響く。確かにあの胸と顔は人間の女性、それに今オーウェンと揉み合う姿には必死で羽ばたく翼も見える。そういやエジプトではスフィンクスが墓守だったっけ。

――これは……拙いぞ……

と、ここで一足先に飛び込んだランスの切迫した思考が流れ込んできた。拙い、落ち着いてる場合じゃなかった。

「よし、直ぐオーウェンを追うぞ」

「あ、シロウ! 危ない!」

確かに危ないだろうが、オーウェン一匹に任すわけにはいかない。闇の中で縺れ合う二頭の獣を追うべく、俺は門の向こうに一歩踏み出した。

「うわぁ!!」

が、足は地に付かなかった。
踏み込んだ足はそのままするっと空をきり、闇の中にまっ逆さまに落ちて行く。

「シロウ!」

「先輩!」

「あぁぁぁぁぁ…………助かったセイバー」

「今引き揚げます。足場が……極端に見えにくいのです」

何とかセイバーの腕に捕まる事が出来た俺は、引き揚げられつつ、オーウェンが戦う戦場を見渡した。

「げっ……」

そこにあったのは奈落のような暗闇と、その暗闇の中に整然と浮かぶ直径二メートルほどの丸い足場の列。どうやら地下から伸びる柱の頂部のようだ。

――Grawww!

――Shyaaa!

そこでオーウェンが戦って居た。不安定な足場の上で、がっちりと女面獅子身のスフィンクスを押さえ込み。喉首を狙い唸り声を上げている。
無論、スフィンクスの方も必死だ。何とかオーウェンを引き剥がし、翼の優位を生かすべく空へ逃れようともがいている。

「私が!」

「いや、待てセイバー。何とかなりそうだ」

と、ここでセイバーが一歩前に出るのを俺は押し止めた。オーウェンは上手く戦ってる、確かにセイバーならこんな不安定な場所でも戦えるだろうが、さっきの事もある余り無理はさせたくない。

「ランス! オーウェンを援護してやってくれ。――投影開始トレース・オン

俺は手に弓を投影し、ランスに向かって思考を飛ばした。

――済まぬ主、それが拙いのだ。

だが、ランスからの返事は思いのほか切迫したものだった。カットバックで入ってくる視覚には、隼頭のスフィンクスの姿。くそっ一匹じゃなかったのか。

「オーウェン!」

「オーウェン君!」

どこだと視線をランスのいる辺りに向けた瞬間、今度はセイバーと桜の叫びが響いてきた。慌てて視線を返した俺の視界の隅を、異様な姿をした獣が一直線に横切る。

――Baaaa!

もう一匹居た。その三匹目の、羊頭のスフィンクスが、横合いからオーウェンの脇腹目掛けて頭から突っ込んで行く。衝角ラムだ。一瞬オーウェンの動きが止まり、その身体が宙に舞う。

――Kisyaaa!

その隙を逃さず、女顔のスフィンクスがオーウェンを蹴り上げ、引き剥がした。拙い! 足場が……

「オーウェン!」

――Garow!

そのまま足場の外に蹴り出され、なす術もなく奈落の底に落ちるかに思ったオーウェンだったが、ギリギリで身を伸ばし、柱の側面を蹴り上げる事で、反対側の柱の縁に前足だけだがしがみ付く事が出来た。

「行きます!」

だが、今のままでは柱の端にぶら下がった良い的だ。ここでセイバーが、一気に飛び出した。

――Baaaa!

そこに羊頭のスフィンクスがまたも横合いから飛び込んでくる。

「邪魔です!」

剣で角を搗ち上げ、返す刃で胴を薙ごうとするセイバーだが、スフィンクスも翼を大きく広げて速度を殺し、間一髪で避けるとそのまま上空に飛び退き、円を描きながら次の機会をうかがっている。

「くっ……」

踏み込もうとする度に舞い上がり、引けば急降下の構えを見せる羊頭のスフィンクス。
流石のセイバーも足場の悪い事もあって、空飛ぶものに牽制に徹せられては分が悪い。対峙したまま進むに進めないうちに、女顔のスフィンクスが、身動きの取れないオーウェンを引き摺り落そうと襲い掛かる。

「させるか!」

俺はそこに向かって矢を射掛ける。中りが出るのを待ってはいられず、狙いは甘いが牽制にはなる。素早く身を躱すスフィンクスがオーウェンに近寄れないように、二の矢三の矢を続けざまに放つが、このままじゃ受身の俺たちが不利だ。何とか打開策を考えないと……

「エミヤ殿。今ならあの獅子が落ち切らぬうちに、先ほどの剣の焔で一気に片をつけられよう」

そこにアケメス師の冷徹な声が響いた。
一瞬、思わず睨み返してしまう。この爺さんは足手纏いになってしまったオーウェンを囮にして、オーウェンごとスフィンクスを吹き飛ばしてしまえといってきたのだ。

「駄目だ、何か手があるはずだ」

確かにそれも一つの手だろう。だが、俺にそんなことが出来るはずが無い。

「俺は誰も見捨てない。オーウェンも、桜も、セイバーも、それに爺さん。あんたもだ」

「……ふむ」

俺は感情を堪え、歯を食いしばりながらアケメス師に応えを返した。まだ全ての手を打ったわけじゃない、諦めるわけにはいかない。

「光を! わたしの後ろに!」

そんな俺の耳に桜の叫びが響いた。そのまま難しい顔をしたアケメス師の袖口を掴んで、早口で何か頼んでる。どうやら、何か思いついたようだ。

「オーウェン君はわたしが助けます。だから先輩とセイバーさんは、思い切ってやっちゃってください!」

どうするんだと、聞く間もなく響いた桜の叫びと同時に、背中から強く激しい光芒が放たれた。扉を通して、サーチライトのようにオーウェンに向かって一直線に伸びる光の帯。帯が伸びるに連れ、俺と桜の黒い影も、競争するようにオーウェンに向かって伸びて行く。

――Gyaruu!?

と、桜の影がオーウェンに触れた。

「―――― O allumklammernde絡み 憑き), dam atm' du mich!我は 汝を 呑む

続いて桜の捲くし立てるような高速の詠唱が響く。

―― 沸……――

――myauuuwww!!

途端、桜の影から湧き上がる不気味な虫の群。それが、オーウェンの身体に群がり、頭から飲み込もうと絡み、まとわり付いて行く。

「お、おい! 桜!」

「今です! 先輩!」

そのまま一気に桜の陰に引きずりこまれたオーウェンの姿に、一瞬呆気に取られてしまった俺だったが、その声で我に返った。視線を戻せば、そこには俺同様、何が起こったかと呆気に取られ、ただ漠然と宙に浮かぶだけのスフィンクス達の姿。

「セイバー!」

「はい!」

そんな隙を見逃すわけにはいかない。羊頭、女顔、二頭のスフィンクスに俺の矢とセイバーの刃が次々と襲い掛かる。

――kyowaaaa!

続けざまに翼を貫かれ、切り落とされた二頭のスフィンクスは、そのまま奈落に落ちて行く。最後に残った隼頭のスフィンクスも、俺とセイバー、それにランスの連携に逃げる間もなく討ち果たされた。

――meow……

なんとかなった。そうほっと一息ついているところで、後からなんとも情けない声が響いてきた。

「よかった……」

振り向くと、そこには桜の陰から、涙目で浮かび上がる仔猫に戻ったオーウェンの姿。腰でも抜けたのか、そのまま桜の胸元に抱き寄せられ、力なくぶら下がっている。よっぽど怖かったんだな……

「手はあったろ? それも爺さんの手が」

「ふむ、確かに今回は手が間に合った。だが常にと言うわけには行くまい」

「だろうな。だけど俺はこの道を行く」

「……ともかく、これで三の門に達したと言う事なのだろう」

俺の言葉にアケメス師は、返事の代わりに光度を戻した明かりをスフィンクスの間に導きいれ、視線でその先を指し示した。誘われるように奥に視線を移すと、確かにいつの間にか突き当たりの扉が開かれている。

「休ませちゃくれないって事か……」

開かれた扉の向こうからは、低い唸るような呻くような物音が、物理的な圧力さえ伴って、徐々に徐々に迫ってくる。

「セイバー! 桜! 来るぞ!」

「はい!」

どっと沸きだした黒雲を前に、俺たちは即座に身構える。何がやってこようとも、叩き伏せて通り抜けるまでだ。俺たちは一歩前に出た。





灼熱の砂漠。だが、意外と思われるかも知れないが夜は寒い。
銀板のような月に照らされ、昼間あれほど大気を焼いていた砂も、今はまるで雪のように冷えびえと月光を吸い込んでいる。

そんな白銀の砂漠に、地鳴りのような足音が規則正しく響いている。
砂漠よりもなお乾いた足音、月光よりもなお凍えた心音。津波のようなミイラの群が、陣を組み陸続と前進してくる。

「状況を開始します」

私はそんな木乃伊の群に正対し、幕僚に指示を下した。静かに散って行く幕僚達を見送り、私は愛用のベレーを整えなおす。
予測どおりだ。木乃伊の群は、厚い両翼に阻まれ、漏斗に導かれる砂粒のように中央に集まって行く。
そして中央は薄い。耐え切れぬならば下がるように指示は出してある。突破は時間の問題だろう。
そう、時間の問題。さあ、これで式は成った。解を出させて頂きましょう。




規則正しい震動の中、月光だけが静かに銀の砂漠を照らしている。
私はそんな淡い光を頼りに、眼下の城砦を見下ろした。

「地上の状況は?」

「計三波の突撃を撃退し、現在、城砦の全周に対し圧力をかけています」

「相手が木乃伊で助かりましたね。人間相手ならこんな見え透いた手、使えませんからね」

機械と一緒だ、あくまでこちらの行動に対する自動対応。おかげで、倒すには殲滅するしかない状況ではあるが、動きを読み切れれば、嵌め技に持って行くことが出来る。
これから仕掛けようとしている事も同じようなもの。倒すのは難しくとも、要は勝てば良いのだ。

「それじゃあ、行きましょうか」

私はヘリの操縦士に指示し、エンジンを切らせた。ここから先は術式による断衝降下に移る。震動が途絶え、まるで羽毛のように振り降りるヘリの中で、私は野戦帽を阿弥陀に被りなおした。
さて、仕込みは十分、蓋を開けさせてもらいますよ。





「……こいつらはなんなんだ?」

「スカラベだ。本来は再生を意味する聖なる虫なのだが、これは些か趣が違う……」

黒い絨毯のように敷詰められ、不気味に羽音を唸らす甲虫の群を前に、流石に俺も息を飲んだ。

「再生の前段階。破壊を司る者。死者の肉を喰らい、己が身を通して死者の都に送り届ける冥府のスカラベだ」

つまり、肉食のピラニア虫ってわけだ。その小さな肉食獣の真っ只中、俺たちは桜を先頭に歩いていた。

「桜、大丈夫か?」

「……大丈夫……です。でも……この子達……違う……」

額にびっしりと玉の汗を浮かべ、俺の手を握り締めながら、必死で息を整え呪を紡ぐ桜。あの黒雲を退けられたのも、この部屋に踏み込めたのも、全て桜のおかげだ。




「先輩! セイバーさん! 下がって!」

「え?」

「なっ!」

黒雲が湧き出した瞬間。真っ先に駆け出したのは、俺でもセイバーでもなく桜だった。

「――――Du liebenKind,Komm,geh mit mir愛し 児よ 我と 共に 在らん).」

セイバーさえも呆気に取られる中、一歩前に出た桜はそのまま小さく呪を紡ぐと、自分の陰を大きく膨らまし俺たちを包み込んだ。

「くっ! これは!?」

「爺さん! 中へ! ランス! 戻れ!」

「む、うむ」

――これは……

俺たちが桜の広げた陰の結界になんとか滑り込んだ瞬間、結界は黒雲に覆われ、突然の霙にでもあったように轟音に包まれた。目の前で、次々と結界にぶち当たり、噛み付き食いちぎろうと牙を立てているのは、小さな……

――……虫か。

そう、虫の群れだ。あの黒雲は、固い殻に覆われ、鋭い角と牙そして鉤爪を持った甲虫の群だったのだ。

「くっ……―――― dam atm' du mich!我は 汝を 呑まん

息を飲む俺たちの真ん中で、まるで自分自身が集られてでも居るように、座り込み身を震わせている桜。それでも必死で呪を紡ぐと、陰の壁を伝うように黒い小さな影が沸きあがり、ぶつかる虫達を逆に噛み付き飲み込み、咀嚼しだした。

「……うっ!」

「桜!」

と、いきなり桜が口を押さえて嗚咽しだす。

「だ、大丈夫です。今ちょっと取り込んでみたんです。もう少し……もう少しで掴めますから……」

「そ、そうか……」

虫を通して虫を取り込み、その組成を元に術を組み操る。吸収を旨とする桜独特の施術なんだが、流石にちょっと腰が引けた。

「大丈夫だから……出来るから……」

だがそんな思いも、歯を食いしばりながら必死に堪える桜の横顔を目にすると、吹き飛んでしまった。俺は思わず桜の肩を抱き、胸元に握り締められた拳に手を添えた。

「頑張れ桜。俺にはこんなことしか出来ないが」

「……先輩……良いんです。これで十分です」

そんな不甲斐無い俺に、桜は笑顔で応えてくれた。拳に添えられた俺の手をしっかりと握り締めると、そのまま胸に抱え込むように引き寄せる。

「……うっ」

や、柔らかい。
一瞬よからぬ思いが脳裏をよぎったが、その奥に早鐘のように打つ心臓の鼓動を感じ取ると、そんな思いはすっと引いていってしまった。
桜は頑張ってる。自分の持つものに背を向けることなく、一生懸命立ち向かってる。
俺は気を引き締めなおして桜の鼓動を受け止めた。この小さな響きが、今あの不気味な虫達と相対している。だったら俺はそれを支えよう。負けるな桜。お前なら絶対に出来る。

「……―――― Das geht in総てを Ruh undSchweigen unter久遠の 沈黙の うちに.」

今なお霙を打つように続く蟲達の襲撃の中。それでも桜は呟くような呪を陰の中に、そしてそこから黒雲のように群がる虫達の中に染み渡らせて行く。

―― 散……――

霙が雨に、雨が五月雨に、そして最後に霧雨のような無言の唸りを残して虫の嵐は止み、暗雲は夏の夕立のように素早く引きあげ、扉の向こうに消えて行く。

「桜……」

「出来ました……これで、暫らくは、抑えていられます……今の内に……」

「わかった。それより大丈夫か桜?」

「はい、なんとか持たせます。ですけど、その……」

息の荒い桜は、それまで手を貸して欲しいと、どこか恥ずかしげな声で言ってきた。

「おう、そのくらいなんでもないぞ。で? 何をやれば良いんだ?」

「えっと、そうじゃないんです先輩。その……手を握っていてくれますか?」

「な、なんだそっちの手か。こんなもんでよかったら、いくらでも使ってくれ」

「先輩、それじゃ有難味が薄いですよ」

桜はどこか肩を落とした様子で苦笑すると、俺の手を借りて立ち上がった。

「それじゃあ、ここはわたしが先頭を進みます。良いですよね?」

オーウェンはまだ仔猫の姿のままだし、俺にも否は無い。セイバーだって流石に気を飲まれたのか、溜息をつくようにこくりと頷いた。
こうして俺たちは、肉食のスカラベの巣である第三の間に踏み込んでいったのだ。




「もう少しだ。頑張れ桜」

「……はい……」

その桜でさえこの部屋に踏み込んだ当初は、息を飲んでいた。先ほどスフィンクスが居た、第二の間と殆ど変わらないほどの広さの部屋。その床といわず立ち並ぶ列柱といわず、見渡す限りにあの甲虫が群がって蠢いているのだ。
桜をしても、入口から奥の扉まで一本の細い道を開くのが精一杯。道の両脇の虫達はともかく、奥の群までは制御し切れない。ただひたすら息を殺し、気配を消して気取られないようにするしかない。

「よし、着いた。さあこれで……うっ」

漸くたどり着いた次の間への門。俺は押し開こうと門の扉へ手を差し出して息を飲んだ。
ただの黒い石だとばかり思っていたその扉の表面は、びっしりと例の甲虫に覆われていたのだ。

「……呪刻を施されている。この虫が扉の鍵と言う事らしいな」

思わず表情を引きつらせた俺の肩越しに、アケメス師が嫌になるほど落ち着いた声音で言ってのけた。

「これが鍵だって言うなら、この部屋一杯に居るこいつらはなんなんだ?」

「確かに危険な魔虫ではあるが、本質的には虫に過ぎない。恐らく共食いを繰り返しながらここまで増殖したのだろう」

「……」

背筋に悪寒が走った。三千年間、自分達だけで食い合い増え続けてきた虫。桜が吐きそうになるわけだ、こんなおぞましい虫を取り込んだんだから……

「可哀想な子達なんです……」

だが、俺の手をきゅっと握り締めながら、一歩前に出てきた桜の声には、どこか哀しい響きしかなかった。

「本当はお日様の下で暮らすはずだったのに、げられて、食べたくもない物を食べさせられて、今ではもう自分達が何処から来たのか、何処へ行くのかもわからずに、お腹が減って、寒くて、ただ、ただ、目の前にあるものを食べる事しか知らないんです」

そう言いながら桜は更に一歩前に出ると、そっと扉に手を差し伸べた。

「さ、桜!」

たちまちの内に扉に群がっていた蟲達が、桜の手から腕を伝い、肩口にまでびっしり群がり蠢き出した。慌てて握った手を引いて引き離そうとした俺だったが、桜はそんな俺の手を握りなおして、落ち着いた表情で振り返って見せた。

「先輩。わたしの手、離さないでくださいね」

「桜……」

「やってみます。もしかすると、この子達も治せるかもしれないし……」

腕に群がるひときわ大きな虫達の鉤爪に、牙に傷つけられ、血を滴らせながらも、桜はじっと扉に手をつき小さな声で呪を紡ぎ続けた。

――  呪!――

と、虫達が桜の手を離れ扉に戻り、背を合わせて呪刻を一つに組み上げていく。三重の円。一番内側にピラミッドのように高く積み重なり、内円には外を向いて足を伸ばし頭を上げる虫。そして外円、傅く様に頭を垂れ扉に張り付く虫達。
次の瞬間、虫の塊に魔力の煌めきが走り、扉はゆっくりと開き始めた。

「桜、もう良いぞ。さあ、先に進もう」

俺はほっと息をついて、血みどろの腕を今だ扉についたままじっと見据える桜に声をかけた。

「待ってください、もう少し、もう少しなんです」

だが桜は扉から手を離さない。何か思いつめたような視線で、ただじっと扉に向かって何事か囁き続けている。

「桜?」

「もう少しなんです。もう少しであの子達にかけられた鍵を外せる……」

「桜……」

桜が何をしようとしているのか俺には分かった。この地下で蠢く虫達をなんとかしてやろうと思っているのだ。

「わかった、皆は先に行っていてくれ。俺は後で桜と一緒に行く」

虫達を取り込んだ時に同調しすぎたのか、それとも、虫達の境遇に感情移入してしまったのか、それはわからない。だが、桜がこの虫達を救いたいと思った気持ちは本物だ。だとしたら、俺にはそれを止める事は出来ない。

「シロウ……」

――meow……

だがセイバーもオーウェンも動かない。ただ小さく溜息をついて諦めたように俺を見ているだけだ。

「無意味な事だと思うが? いや、危険かも知れん」

ここで漸く動いたアケメス師が、さり気無く俺の脇まで進むと小さな声で呟いた。
まあ、そうだろう。本当の事だから腹も立たない。むしろ小声で、桜に聞こえないように言ってくれたことに感謝したいくらいだ。

「わかってる。その為に俺が残るんだ」

そう、判っている。こんな事は多分無意味だろう。だが、それでも挑む事が、諦めない事が大切なんだ。例えここで無意味に終っても、挫けなければその気持ちが失せる事はない。

「想定外の解だな……君は……いや、わかった。それならば良いだろう」

そう言うと、結局アケメス師もセイバー達と並んで、俺たちをじっと見ている。ああ、もう。危ないんだぞ。

「それはシロウも同じです」

「今の状況で、分かれて行動する危険のほうが大きい。多少のことなら纏まっていた方が安全であろう」

――mewon!

だってのに、それぞれが、周囲に身構えながら、開いた扉から出て行こうとはしない。全く、後で文句言ったって聞かないからな。
こうして俺たちは桜の周りで円陣を組み、桜の思いが通じるのを待つことになった。

「――っ……やった、やりました先輩! これであの子達は……」

何をどうしたかまでは判らない、しかし、何か小さく弾けるような音とともに、桜は嬉々とした顔で俺に振り返った。しかし……

「桜! 伏せろ!」

「……え?」

―― 狂!――

その直後、虫達が狂った。
本能も統制もあったもんじゃない。見渡す限りの甲虫たちは、近場にあるものが石だろうが仲間の虫だろうが、構うことなく襲い掛かり牙をたて貪り食おうとし始めた。

「きゃ!」

無論、桜の制御なんかとうに失せ、俺たちの周りの虫達も俺たち目掛けて飛びかかってくる。

「――風王結界 展開インビジブル・エア!――」

「今の内だ! 飛び込め!」

それをセイバーが風の結界で弾き飛ばす。轟と巻く風の中、呆気に取られる桜を引き寄せ、俺は扉の向こうに身を躍らせながら叫んでいた。

「やはり無意味であったな……」

小さく呟くアケメス師を先頭に、オーウェンがランスが、最後にセイバーが飛び込み、暴れ群がろうとする虫達を、俺たちは石の扉で力任せに押し込めた。

「駄目でした……」

「桜……」

扉の向こうの虫の音が徐々に薄れ行く中、力なく肩を落とした桜が、泣きそうな顔で口を開いた。

「駄目だったんです先輩……折角、強制の鍵を外したのに……その向こうの本能も心も……もうすっかり狂っていて……ただ、食べる事しか残ってなくて……」

三千年積み重ねられ続けた呪詛の重さは、とうに虫達の存在そのものを歪ませ、狂わせて居たのだと言う。

「桜、お前は良くやった。ちゃんと頑張った」

「……でも、でも全部無駄でした」

がっくりと肩を落とし、我が身の事のように肩を震わす桜に、俺はそれでもしっかりと伝えた。

「それでも、桜はあいつらを助けたいと思ったんだろ? 助ける為に頑張ったんだろ? それは嘘じゃない」

俺は桜の肩を掴み、真正面からその目を見据えながら言葉を続けた。

「桜は頑張った、よくやった。誰が認めなくても俺が認める」

「……先輩」

桜は正しい事をやった。だから挫けるな。その気持ちを忘れるな。そうすればきっと先に進める。俺はその思いを込めてじっと桜を見据えた。

「……はい、有難うございます。まだまだ先は長いんですからね。こんな所で挫けてちゃだめですよね」

小さくなって震えていた桜だったが、漸く顔を上げてくれた。良かった、瞳に力が戻っている。

「ああ、そうだ。早く遠坂たちを助け出して、こんなに苦労したんだと文句言ってやらなきゃな」

「そうですね、姉さんを奪って、あの子達にこんな酷い事をした連中に、負けるわけにはいきませんよね」

「その意気だ」

何とか桜も立ち直ってくれたようだ。俺たちは顔を挙げこの部屋の奥、次の門に視線を向けた。
今まで抜けた部屋は三つ。
つまり、この部屋を抜けたその先に、遠坂達が待って居るのだ。

to be Continued


Fate/In Egypt 神殿攻略編 その一でした。
正面から乗り込む士郎くん達と、奥から出ようとする凛ちゃん達。そして、その外で木乃伊の群と戦う、シオンミーナ連合軍。
今回は未だ承の内、次回神殿編 その二 で転と相成る予定です。

by dain

2005/2/9 初稿

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