「次……ですね?」

慰めるように擦り寄ってきたオーウェンを優しく抱き上げ、桜は唇を噛み締めるように引き結ぶと、挑みかかるような表情で神殿の奥を睨みつけた。

「ああ、四つ目だ」

その視線の先には、俺たちを睨みつけるように屹立する一対の犬頭の巨神像。

「アヌビスの間だ。回廊はこれで最後、次は奥の院たる王の祭壇になる」

その視線にあわせるように、アケメス師が犬頭像を、そして門を指差した。

「つまり、ここを抜ければ……」

「左様、神殿の最深部、ステナトンの墳墓だ」

漸くたどり着いた。
ここさえ抜けば、後は遠坂たちの飛ばされた場所まで一直線。
不気味に屹立する犬頭像を前に、俺は皆の顔を見渡した。
セイバー、オーウェン、それに桜。皆それぞれの場所で、それぞれの思いを持って頑張ってくれた。お蔭でここまで辿り着けた。
最後の門を前に、俺は一歩前に出た。





Fate/In Egypt
く れ な い の さ ば く
「硝砂の魔術使い」 ――EMIYA―― 第四話 前編
Heroic Phantasm





「よし、じゃあ今度は俺が……」

先頭に……と進みかけたところで、ふっとアケメス師の腕が俺の進路を遮ってきた。

「漸く、汚名を返上する機会が来たのだ。ここはこの老人に任せて欲しい」

「なに言ってるんだ。今まで皆で切り抜けてきたんだ、ここも皆で行けば良い」

俺はそんなアケメス師を更に押し止めて言い放った。
最初からわかっていた。
この爺さんが、命を削ってまで力を取り戻し、俺たちについてきた理由は、ここで死ぬ為だ。死ぬ事で道を開き、遠坂達を奪われた事の帳尻を合わそうと言うのだ。
気持ちは分かる。だが、そんな犠牲はいらない。皆で行って皆で遠坂たちを救い出し、皆で帰る。既に自分の命を削って居るこの爺さんにとっては意味の無いことかもしれない。偽善でさえあるだろう。だが、それでも、その為に俺はこの爺さんの協力を受け入れたのだ。断じて、命を落さす為ではない。

「今までの経緯から、君がその解を突きつけてくることは想定されていた。だが、エミヤよ。ならば君はこの門をどう開ける?」

「それは……あの犬頭を倒して……」

「アヌビス像こそが鍵なのだ。鍵を壊せば門は開かぬ」

「じゃあ、門そのものを……」

ぶち壊してしまえば良い話だ。

「ふむ、確かに門はある」

が、アケメス師は見透かすように、一対にアヌビス像の間に視線を向けると、徐に歩き出した。

「……あ、危ないって!」

「あ、シロウ!」

「先輩!」

その歩き方が余りに自然だったので一瞬気を飲まれてしまったが、こんな場所で一人だけ先に行くってのはどう考えても危ない。俺は思わず追いかけて行った。続いて俺に引き摺られるようにセイバーも、桜も走り出す。

「案ずるな、この回廊に守護者は居ない。門を開けようとするもの以外には無関心だ」

だが、アケメス師は歩みを緩めない。視線も返さずただそれだけ言うと、とうとうアヌビス像の間にある大きな門の前まで進んでしまった。

「なにもなかったであろう?」

「そうは言っても一言欲しかったぞ」

結局、俺たちはずるずる全員でアケメス師を追って回廊を縦断することになってしまった。流石に鼻白んだ俺は、アケメス師に食って掛かったのだが……

「……どう言うことなんだ?」

俺たちの眼前でぽっかりと口を開いている門に気がついて、自分から話を変えてしまった。

「うむ、見ていたまえ」

「あ、おい!」

そのままアケメス師は一つ頷くと、またも一人で門を潜っていってしまった。

「……と言うわけなのだよ」

思わず追いかけようとしたところに、アケメス師がその同じ門から姿を現した。

「まさか……」

セイバーと桜共々、一瞬呆気に取られた俺だったが、思い切ってアケメス師と同じように門の中に飛び込んでみた。俺が思ったとおりなら……

「シロウ!」

「先輩!」

やっぱり。
俺は入った場所と同じ場所で、慌てて駆け寄ってきたセイバーと桜に迎えられた。ってことはこれって……

「空間湾曲か……」

「左様、今この門は開いているものの何処にも繋がっておらん。壊したところで意味は無い。手順を踏んで鍵を開けんとな」

「……それが出来るのは自分だけだって言いたいのか?」

「そういう事だ、吾が道を開こう。君達はそこを抜けていけば良い」

「……わかった」

そう言うしかなかった。だが、俺はそれでもなお食い下がった。食い下がるしかなかった。

「わかったけど、俺たちにできることはないのか? 何か手伝える事とか、少しでも役に立つ事とか」

「……随分と違うのだな」

「え?」

「あ、いや。良かろう、君はきちんと説明をせんと、納得してくれぬようだからな」

そんな俺に少しだけ遠い目をしたアケメス師は、ポツリと小さく呟くと、ゆっくりとこの部屋についての話を始めた。

「黄泉路のファラオへの謁見は、アヌビス像に心臓を預ける事で扉を開く。つまり命と言う質を預けたものだけが通れるのだ」

「それじゃ、俺たちじゃ……」

「左様、通る事はできん。だがなエミヤ、吾は違う……」

アケメス師はそこで一旦言葉を切ると、徐にローブの前を肌蹴て見せた。

「え?」

「なっ!?」

俺だけじゃない、桜も、セイバーだって息を飲んだ。肌蹴た胸元、本来心臓のある辺りには、ただ黒々とした穴がぽっかり空いているだけだったのだ。

「命を削るとはそういうことなのだ。吾は心臓と引き換えに今動ける力を得た」

魔術は等価交換。細く長く引き延ばした命を一気に圧縮する為の施術であったと言う。

「さて、ここからは些か助けが居る。“卵”はまだお持ちかな?」

「“卵”って……っ! あの水爆!?」

五大元素融合核撃呪弾。俺は慌てて胸の奥深くに隠した卵に手を当てた。

「左様、あれを吾の心臓の代わりに此処に満たす。吾はアヌビスにこれを“心臓”と偽って預け門を開く。本来、その道を通れるのは吾だけだが、そこでこれから力を導けば……」

「ば、爆発させるのか?」

「そこまではせん。これは吾らの造りしもの、制御すれば一気ではなく徐々に焔やすこともできる」

つまり水爆じゃなく、核融合炉として使おうって事か……なんだか、物凄くとてつもない事をさらっと言ってくれるな。

「ともかくだ、これを使えば門を固着して開き続けることが出来る。つまり……」

「俺たちが通る事が出来るってわけか……」

「左様、吾は門を守る為に残らねばならぬがな」

言葉もなかった。命がけでここに来たって事はわかってたつもりだったが、まさかそこまでとは……

「わかった……」

今度こそ、これしか言い様がなかった。だが、それでも俺は、“卵”を預けながらも次の言葉を口にしてしまった。気休めに過ぎない、無意味で偽善的かもしれないが……

「けど、俺たちは必ず遠坂たちを連れてここに戻ってくる。だから……」

「それまでは死ぬな、か。君はなかなか欲張りであるな」

「ああ、我侭だと思うが……」

「よかろう、どの道それまで門をもたせねばならぬからな」

アケメス師はそれでも俺から“卵”を受け取ると、苦笑しながらも頷いてくれた。
悔しかった。この老人にそんな気を使わせてしまった自分の無力が、何より口惜しかった。


「――Ntr Pw Nswtファラオは 神なり

ローブに書き込まれた魔法陣を床に敷き、その上で半裸となったアケメス師が一対のアヌビス像の前に跪き、祈るように呪を唱える。
いや、これは祈りだろう。自分の心臓を捧げます、その軽重を秤りどうかファラオの元にお連れください。これは紛れも無く古代エジプトの神への祈りであり、同時にそれゆえに強大な呪でもあった。

「――Iin Wni Msat吾は 神を 祭らん

呪は進み、両腕を大きく広げて己が身を差し出すような祈りと共に、両脇のアヌビス像の瞳に光が点った。
その光が徐々に強くなる中、アケメス師の身体も、まるで磔にでもされたように、両腕を広げたまま強張り、心臓を、その胸にぽっかりと開いた穴を曝け出す。

「――In Gsa Iwsw秤の 傾きや 如何!」

そして、ひときわ大きな詠唱が唱えられると同時に、鮮血が飛び散り、胸元から金色の“心臓”が浮かび上がった。

「くっ!」

「シロウ……」

思わず一歩前に出そうになった俺を、セイバーが押し止めた。わかっている、ここで出て行っても意味は無い。儀式は台無しにされ、門は開かれる事はない。歯軋りする思いで俺は足を止め、見据えることしか出来ない、それ以外してはいけない。

―― 開!――

それでも細々と続けられるアケメス師の呪。その呪に合わせて、アケメス師の“心臓”が門に触れると、門の中央に虹色の渦が生まれ、ゆっくりと、ゆっくりと門全体に広がって行く。

「――Inks Rdi Ir Tw.f其は 当に吾!」

ここに来てアケメス師の紡ぐ呪の色合いが変わった。それは最早祈りではなく、叩きつけられた拳のように、強く激しい反逆の言葉だった。

「――In Ib Shpr Nb.fm Sdm Tm Sdmサフこそ 総ての 鍵!」

途端、黄金の光が“心臓”から漏れ広がり、閉じようとする虹色の渦を押し止めるように轟然と燃え上がった。

「今だ、行け!」

唖然とする俺の耳に、アケメス師の声が響いた。ぼんやりと驚いている暇はない。俺たちは一気に門を抜けるべく駆けだした。

「……爺さん」

セイバーを桜をオーウェンを、そしてランスを送り出し。俺は最後にアケメス師に顔を向けた。もう何も言う言葉なんか無いはずなのに、それなのに俺は立ち止まってアケメス師を振り返ってしまった。

「なっ!」

俺はそこで言葉を失ってしまった。俺たちを送り出し、門を保つといっていたアケメス師。その姿が、まるで駒落しで時間を早送りするように、どんどん、どんどんまるで木乃伊のように風化して崩れ去ろうとしているのだ。

「すまん、嘘をついた。他に術があればよかったのだが……吾にはこれ以外の術は残されておらんでな」

「な、なんだよ! 門を守って待っててくれるんじゃなかったのかよ!」

俺は思わず叫んでしまった。繰言だ、こうなってはもう何を言っても仕方がないって言うのに……

「ああ、安心しなさい。一度固着した門はそう簡単に崩れん。そう、内と外から同時にでも攻めぬ限りはな……」

「そんな事を言っているんじゃない!」

「わかっている」

思わず駆け戻ろうとした俺を押し止めたのも、アケメス師の言葉だった。

「君がどう言う存在であるか知っているつもりだった。だが、君は些か違っていたな。まあ、どちらにせよ我らの最大の障害であったことに変わりはないが……」

「……何を言っているんだ?」

流石に足が止まった。なんだ? それは……なんか、まるで俺のことが敵みたいじゃないか……

「なに、感謝の言葉だ。君は吾の持つ“三千年の妄執”を晴らしてくれた。君の言うとおりだ、……諦めたら終わりだな……」

「だったら!」

「時間だ……行きなさい。そして忘れぬ事だ……吾の……ことば……を……」

その言葉を最後に、アケメス師はその身を塵に変え崩れ去っていった。
なにを言いたかったのか、結局敵だったのか味方だったのか、俺にはさっぱりわからなかったが、それでも最後の言葉は真実だったように思えた。

「わかった。覚えておく」

俺は、一山の塵に変わってしまったアケメス師にそれだけを言い残し、最後の門に、
虹色の渦に足を踏み入れた。





「こっちは隠されてないのね」

前室を出てから、上に続くいくつかの階段と通路の壁に描かれていたのは、エジプトを襲った幾多の災害と、ついに起こってしまった反乱。そしてそれに追われる様に没落し、最後には墓所に封印されたステナトンの姿だった。

「根源に近づいた事の余波ね。使った魔力が全部逆流して……」

「どうやらステナトンは魔術回路を失ったようですわ。そのせいで人造霊脈も止まってしまったのですわね」

「更にアトン信仰も忌避されて、力を集める事も出来なくなった。そこに古い宗教勢力が力を取り戻して……後は今も昔も変わらない権力闘争ってことね」

魔術回路を失った魔術師は唯の人だ。しかもステナトンは人種も違えば宗教も違う。災害に国土を荒らされた孤立無援の権力者など、民衆にとって生贄以外の何物でもない。

「“三魂を霊脈に封じ、屍を此処に棄す”か、道理でカノポスが無いわけね」

だが、それでもステナトンは強大な魔術師だった。死後の永遠と再生が現実として存在していた古代エジプトでは、こんな存在を死後の世界に向かわすわけにはいかない。かと言って復活されて魔術回路を回復させるわけにもいかない。だから、死後も永遠に封じるべく、魂と肉体をばらばらにして埋めたという事だろう。

「さて、次が本命ね」

「ええ、統治の間。何故こんなことになったかがわかりますわ」

とはいえこの程度の事は、今までの経緯で大体察しは付いていた。わたくし達は足早に廊下を通り抜け、“根源”への道が、そしてそれが破れた経緯が描かれているはずの統治の間に足を踏み入れた。




「ルヴィア、そっちは? こっちは霊脈からの大源マナの変換式だけど、凄いわよこれ……いくら神秘の時代だからって太陽をもう一つ作り出せそう……」

リンのどこか昂ぶった声が耳朶を打つ。だが、わたくしも同じようなものだ、リン同様ヒエログリフと象徴画で刻まれた太古の神秘から目が離せないで居た。

「それ、当たりですわ。こちらは空間の圧縮式ですけれど、畳んで畳んで……更にその中に神々の、星の概念を全て注ぎ込んでいますわ」

太陽アトンの顕現というわけだ。いや、これほどの圧縮を繰り返せば、 太陽アトンではすまない……

「成程、“虚の太陽ステン・アトン”って事か。だからステナトンってわけね」

「そういう事ですわね」

お互い、興奮で上ずった声を隠そうともしない会話。
再び赤い漆喰に塗り込められていた統治の間。それを前室以上の熱心さで引き剥がし、顕にした壁に描かれていた図は、“根源への道”ステナトンが行った接触実験の克明な経緯だったのだ。
それを目にした瞬間から、わたくし達は前室の反省も、今ここに居る理由もすっかり忘れ去り、目の前の壁画に飛びついてしまった。
さっさとこんな場所から抜け出さなければならない、そんな事は重々承知していたが、それでも魔術師の究極の目標 “根源への道”その詳細な解説とあっては、わたくし達の魔術師の血が、ただで通り過ぎる事を許さなかったのだ。

「でもそれって届かないんじゃなかった?」

それでも落ち着こうと深呼吸をしながらのリンの言葉に、わたくしも息を整えながら頷いた。偶然ではあったが、わたくしは嘗てこれと同じ理論式による施術を観測した事があったのだ。その時は結局届かなかったのだが……

「式の効率と魔力の量が桁違いですもの。わたくしが試したのはあくまで概念による幻影。でもこちらは殆ど現実といって良いほどの密度。これならば“門”になりますわ」

その門に、ありったけの人の魂で叩きつけ“孔”を開く。それがアトン信仰の、ステナトンの“根源”への道であったのだ。

「あの時代で、この力なら“届”いちゃいそうね、エジプトの民全部が生贄って辺り、イっちゃってるけど」

「“全ては救いの為”となってますわね……」

「アトンへの合一? そりゃ教義上はそうだろうけど」

「いえ、少し違いますわ。下の句が“滅びを滅ぼす為”とありますもの……」

“滅びを滅ぼす為”……不可避である滅びの因子を、この世界から取り除く為……
根源に触れ、最初の“一”と合一し、全ての法則を取り込み、操り、わたくしは……

「ああ、結局ここで切れてるわ」

「え?」

リンのどこか焦れるような声で、わたくしは我に返った。一瞬、自分を見失ってしまっていたようだ。先ほどの意思は……。一体、わたくしはなにを……

「え、じゃないわよ。見てみなさい。肝心なとこで切れてる」

「肝心な……所?」

リンは壁画の最後を指し示しながら何事か言っているのだが……、駄目だ、まだ意識が混乱している。

「ほら、これってこのままだと成功しちゃうじゃない。そうなってたらエジプト文明が地上から消える代わりに、ステナトンは根源を手に入れてたわ。でもそうならなかった。その理由よ」

「え? ええ、そうでしたわね」

わたくしは頭を振って意識を取りまとめると、屈みこんでじっと壁画を追うリンの傍らまで進んで行った。確かに碑文も壁画も、施術の準備が整ったところで終っている。この後一体なにが……

「え?」

「きゃ!?」

と、リンの傍らに寄りその肩に手をついたところで、リンの姿が煙のように消えうせた。慌てて左右を見渡しても、何処にもあの殺したって死にそうにない女の姿はない。無論、視線を上に上げても天井が見えるだけだ……

「……あんた、下見ないのはわざとでしょう……」

と、下のほうから恨みがましい声が響いてきた。

「あら、リン。そんなところにいらしたの?」

「いらしたのじゃないでしょうが! 突き落としたのはあんたでしょうが!」

統治の間の外れ、出口に続く階段の前にある、真四角の井戸シャフト。リンはその縁に捕まりぶら下っていた。
どうやら先ほど屈み込んでいたのは、ここを覗き込もうとした為であったようだ。その肩をわたくしが叩いてしまい……ああ、成程。

「不幸な事故ですわ」

「犯人の証言を信用出来るわけないでしょ……」

半眼で睨みつけながら、それでもリンはわたくしが貸した手を伝って、這い上がろうと……

「リ、リン!」

……した途中で、なにを思ったかわたくしの手を離し、井戸シャフトの中に落ちて行く。

「こ、これはわたくしのせいではなくてよ!」

「ってことはなに? さっきのは故意だって認めるわけ?」

だが、慌てて叫んだわたくしに、落ちたリンは思いのほか落ち着いた声を返してきた。
どうやら自分から落ちたらしいのだが……何故?

「ルヴィア、あんたも来て見なさいよ。あったわ。ステナトンがなんで根源にたどり着けなかったのか、その理由がね」

成程、元来は水除けと盗賊避けの罠として作られていた井戸シャフトだが、ステナトンの時代には別の意味、王の埋葬儀式を描く部屋の一つとされていたと言う。

「今、参りますわ」

根源実験の失敗は、事実上のステナトンの死。ならば此処にそれが描かれていても不思議ではない。
井戸シャフトの底でじっと壁画を見詰めるリンに続き、わたくしも井戸シャフトの底に降りて行くことにした。




「……これが?」

さして広くない井戸シャフトの四面、そこに描かれていたのは一連の戦いの壁画だった。
東に天より降り注ぐ、剣の雨によって崩壊する都市。北に一筋の閃光に貫かれ、爆砕する城砦。西には無数の剣で切り倒されたオベリスク。南には地に飲み込まれようとする神殿の最頂部で、槍のようなものに胸を貫かれ、膝をつくステナトンの姿。
血の様に真っ赤に染め上げられた壁を背景に描かれていたのは、何者かにより、当時のエジプト王国の半ば程ごと根こそぎ叩き潰された、根源実験の模様だった。

「ええ、守護者だったのね……」

溜息のようなリンの言葉に促されるように。わたくしはその四面の図、どれにもに描かれているどこか異質な人物の肖像に目を留めた。ひときわ濃い赤のオーラを纏った白髪玄身の巨人。
ステナトンの魔術実験。“根源への道”は成功していたのだ。いや、成功直前であったというべきか……

「……門を作り、さて開けようとしたところで……」

「向こうから開いて飛び出してきたってわけね」

守護者、抑止力。どんな基準があるのか、その資格のないものが根源への道に辿り着こうとする度に現れる存在。今まで辿り付いた、僅か五人の魔法使い以外、幾多の魔術師を阻んできた最大の障害邪魔者。ステナトンも結局これに敗れ去ったというわけか……
後一歩だった。後一歩で全てを一に帰せたのに……そんな曰く言いがたい寂寥感が湧き上がってくる。同時に怒りが、憎しみが、そして……

「そっか……」

と、そんなわたくしの隣で、同様に壁画をじっと見詰めていたリンが、やはり同じような寂寥感の篭もった瞳でついと前に出た。

「……そうよね……関係ないもんね……」

だが、そこから先は違っていた。怒りも憎しみもなく、どこか寂しげなまま、巨人の胸元に指先を沿わせている。
そっと、まるで愛撫でもするかのように触れる玄肌の左胸。欠けている? いいえ違う、傷だ。大きな、まるで何かを貫き通された跡のような傷……

「……リン?」

「あ、御免。でもこれでステナトンに何があったかはわかったわね」

「ええ、おかげで疑問も増えてしまいましたけれど」

ステナトンは根源に挑み、破れ、民衆に捨てられ封印された。此処は復活を待つステナトンを祭る遺跡ではなかった。
追い詰め滅ぼす描写のみ書き加えられ、塗り込められた事跡。隠された三魂。
つまり此処は、ステナトンの復活を阻む為に置かれた重石なのだ。

「うん、なんでわたし達を呼び込んだのか、ね」

恐らく元々は、ここがあの根源実験を行った神殿だったのだろう。その跡地に、人造霊脈と、ステナトンの抜殻、そして鍵。放っておく事も破壊する事も忌まわしいそれらを全て押し込め、時間すら塗り固めて封印する。

「それを、わたくし達が開けさせられたというのはわかりますわ」

「でもその先がわかんないのよね。例え残りの三魂を取り戻しても、心臓のないステナトンは復活できない。ってその木乃伊さえわたし達が壊しちゃったしね」

わたくし達は顔を見合わせて考え込んでしまった。宿るべき肉体が無い以上、ステナトンの復活はありえない。だとすれば何の為にこの遺跡を蘇らせた? 
誰かが再び根源実験を試みようという事だとしても、ステナトン用に調整され、彼女の魔力を前提としたこの遺跡は、余人に扱いきれるものではない。

「ともかく、急いで此処を出ることが先決ですわね」

「うん、もし下手にわたし達を助け出そうなんてしてたら……」

重石が取れてしまう。
例えステナトンの木乃伊が無いといっても、あの人造霊脈の動きだけでも大変な問題だ。わたくし達が抜け出すだけならともかく、力づくで封印を破るような事をしていたら、あの力が外の世界に噴出してしまう。
とにかく早く外に出て早急に封印を組みなおさないと。わたくし達はそれぞれ複雑な感慨を胸に押し込め、大急ぎで井戸シャフトから這い出し墳墓の出口に向け足を速めた。
それともう一つ。それが誰であれ、わたくし達をこんな目に合わせた黒幕を見つけ出し、問い詰めねばならない。
わたくし達は視線だけでそれを確認しあった。どの道、碌でもないことには違いないだろうが、こんな疑問を謎のまま残しておくには、わたくし達は魔術師でありすぎるようだった。





「――うっ!」

虹の渦を潜り抜け。辿り付いた最後の部屋は明るい光に満ち溢れていた。薄暗がりから飛び出した俺は、一瞬目がくらんだ。

「セイバー、桜! どこだ!?」

俺は慌てて目を庇いながら、先行しているはずの二人の名を呼んだ。とにかく合流しないと、今襲われたらどうしようもない。

――主よ! 避けろ! いや避けるな!

と、何とか膝をついて身構えたところに、意味不明のランスの意識が割り込んできた。

「一体なにを……どわぁ!」

「きゃ!」

避けるのか避けないのかはっきりしろ、と怒鳴りつけようと口を開いたところに、いきなり誰かが俺にぶつかってきた。まだ目は見えないが、声と感触から女性である事はわかる。
とはいえ、セイバーほど華奢じゃないし桜ほどふくよかでもない。ちょっと待て、この嫌に覚えのある抱き心地は……

「と、遠坂か!?」

「士郎? ちょっと、なんであんたまで来ちゃったのよ!?」

思わず抱きしめた遠坂のあんまりな言葉に、俺は流石にカチンと来て思い切り怒鳴り返してしまった。

「なんだよ! 折角助けに来てやったんだぞ!」

「あ、御免。ちょっと驚いちゃって。来てくれたんだ」

「当たり前だろ?」

もうひと悶着を覚悟したのだが、遠坂は思いのほか素直に謝罪の言葉を口にすると、ほっとしたように力を抜いて俺に身体を預けてくれた。懐かしい遠坂の香りを胸いっぱいに吸い込み、俺も肩から力が抜けていった。
埃っぽくて汗臭いのに、俺には涙が出るほど嬉しい香りだった。取り返した。俺は漸く遠坂を取り返したんだ……

「シロウ! 凛! まだ気を抜かないで頂きたい!」

「そうです、姉さん! この光じゃ、わたしじゃ駄目なんです。陰が何処にもないんです!」

そこにセイバーと桜の怒声が飛んできた。まだ目が慣れきっていないせいで、姿は見えないがどうやら傍に居るらしい。

――主よ! 今度こそ避けろ!

「え?」

更にランスの声が飛び込んでくる。慌てて顔を上げると、目の前に部屋を覆う光の奔流を、更に上回る金色の光彩が唸りを上げて迫って来ている。

「っ!」

だが、ほっとして一旦力を抜いてしまった上、遠坂を腕に抱いた俺は咄嗟の動きが取れない。

「やばっ!」

それを遠坂が身を捩り、俺を突き飛ばす事で身を躱す。

「な、なんだ!?」

「なんだではありません、シロウ! さあ立って!」

その反動で、俺も躱せはしたが思い切り後に倒れてしまった。そんな俺を、セイバーがすかさず襟首を掴んで、強引に立たせてくれる。

「すまん、セイバー」

「落ち着きましたか?」

「ああ、なんとかな」

漸く目が慣れてきた俺は、周りでなにが起こっているかを見定める事ができるようになってきた。
反対側では桜が遠坂を抱き起こし、ランスが黄金の光の真ん中に突っ込んで牽制をかけている。オーウェンが見えないのが心配だが、桜やセイバーの様子から、まず大丈夫だと思って良いだろう。

「セイバー、ルヴィアさんは?」

問題はそれだ。遠坂が居た、ここで何か戦いらしきものが起こってる。だとしたらルヴィアさんは? 俺は今なお眩く輝く黄金の煌めきの中央を、慎重に見やりながらセイバーに聞いてみた。

「……それが問題なのです」

――meow……

苦汁を飲んだようなセイバーの応え。それに黄金の煌めきの中から聞こえてきた、オーウェンの今にも泣き出しそうな哀しげな鳴き声。なにか凄く嫌な予感が背筋を走った。

「まさか……」

「悪いけど、そのまさかよ。士郎、来た以上あんたにも手伝ってもらうから」

漸く慣れた目で、黄金のきらめきを見定めた俺は、そんな遠坂の声さえもどこか遠くで響いているように聞こえた。
眩いばかりの輝きの中、金色の色彩を放っていたのは金色の髪。
影も落さぬ光を撒き散らしながら、どこか呆然と立ち尽くすその姿は、紛れもなくルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト。金色の魔王きんのけものの姿であったのだ。


物語りも転に移り佳境に入ってまいりました。
いくつかの謎は見えてきましたが、それが更なる謎を呼ぶ……
そしてついに黄金の女神ルヴィア嬢が……
それでは、後編をお楽しみください。

by dain

2005/2/16 初稿

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